謄写版とハンドマイク2007年08月10日 17:35

ホース謄写版

 こんな記事みつけた。一九七二年のべ平連ニュース・一月一日号<小田実氏七二年を語る>という談話記事や。
 抄出紹介すると——

謄写版とハンドマイク

 持ってる特権を十分に使うというのは、べ平連の方法だったと思う。……社会主義国の話をしていて、言論の自由がないと言う。そうするとまた、それは飢えを解放したではないか、と言う。そういう議論は宙にういている。その頭の中には、エフトシェンコとか、大新聞、雑誌のことなんかを考えている。だけど一番大切なことは彼らが謄写版を持てないということだ。ビラを作れない。ハンドマイクを持てないということだ。その問題をつきつけていくと話は私たちに戻ってくる。私たちは謄写板もハンドマイクも持っている。しかし使っているのかということだ。私たちは、たとえば天皇制批判のビラを出したことがない。作ろうと思う。そしてまこう。そうすれば反応がかえってくる。その中から日本の中に言論の自由があるかないかがわかってくるだろう。謄写版・ハンドマイクを十分に使ってこそ、言論の自由について語れる。 私たちはその特権をまだ十分に使ってはいない。とくにインテリはそうだ。……
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 このブログをみてるひとは、謄写版なんてみたこともきいたこともないやろけど、今、わたしらは謄写版のかわりにパソコンを手にし、性能のいいハンドマイクもある。きれいなビラもすぐ作れるし、ホームページやブログで自分の意見を自由に言ったりもできる。
 特権は十分に使われてるようにも見える。
 そやけど、天皇制批判のブログなんて、あるんやろか。(わたしは外のブログをほとんど見んのでしらんのやけど)
 わたしの実感からしたら、七二年頃に比べてずっと言論の自由は狭められ、発表の場は極端に少なくなってるんやけど、だいたい天皇制が問題やと思うひとらがいなくなってるんやから、問題にもなりようがないというわけや……原爆も戦争も死刑も「やむをえない」いうことになってしまったし……。
 この三五年前の小田さんの記事を読んで、いろいろ考え込んでしまったよ。(風)