わが家の風呂物語2007年09月04日 11:12

 わたしは、この暑い夏中、一度も風呂に入らずや。風呂が漏って水がたまらんのや。で、毎日、タライにお湯をいれて行水ですましてた。でもそろそろ秋になるし、冬に行水というわけにはいかん。それで風呂なおしを試みた。まず、一週間かけて風呂の水気を乾かし、木と木の接ぎ目に接着パテを塗りこむ。丁寧に丁寧に。それから接着パテが乾くまで、さらに一週間。
 さあ、これでやっと風呂に入れるぞ! と、こないだ風呂に水を入れた。ああ、ああ、ジャアー、ージャアー、水が漏れとる。なんぼしても水が溜まらん。風呂桶に何日も水をいれてなかったから、乾ききってしまって、それで漏ってるのかもしれん。で、毎日あきらめず水を入れた。でも朝みると空っぽ。
 でも、きのうは外から帰ってきて、汗びっしょりでどうしても風呂にはいりたかった。で水をうんと入れてガスの火をつけた。しばらくして見に行くと、ヤヤッ、熱穴のパイプ口を水が下まわりそうやんか。あわてて水を足す。水道を止めて少し経つとまた下になってる。でもよう考えてみたら、水を足し足ししてたら、なんぼしても水がお湯にならへんやんか……
 そこへ中島くんから電話。「いま忙しいんや。風呂を見てへんと空焚きになるんや」いうたら、「じゃあ、ふうさん風呂に入って見てたら。そしたら水かさ増すし……」いうやないの。中島くん頭ええわ。そいで、すぐ服ぬいで風呂に飛び込んだ。水よりはましや、うん。五センチ?は増したかな。で、やっと五センチが四センチくらいになったとき、まあまあのお湯になってガスをとめ、一風呂あびたというわけやった。ああ、せわしなかった。
 今朝見たら、空になってない。二十センチも溜まってる。熱穴ギリギリや。
       *
 三年まえ、名古屋で6・6サウンドデモをしたとき、東京から参加したくれた何人かがうちに泊まりにきて、風呂にいれたんやけど、そんときたまたま志賀くんの順番のとき、風呂の底がぬけたんや。志賀君がぎゃあーと叫ぶから、見に行くと、ザアーと流れ出すお湯を大慌てで手で防ごうとしてるんや。そんなことしても底はぬけてしもたんやから、あっという間にお湯はなくなってしもた。あのデッカイ志賀君のあわてぶりにみんなで大笑いしてしもたんやけど、風呂の寿命はとっくにきてたんや。なにしろ、底が腐ってた。それでも後で、大竹君とスズキックがなおしてくれて、三年ももったんやから……ま、また、これで当分はいけるやろ。やれやれ。(風)

N君釈放2007年09月06日 01:52

もう昨日のことになってしまいました。
N君釈放とのこと。
くわしくは↓
http://kamapat.seesaa.net/article/54095686.html

9.15 橘宗一少年墓前祭案内2007年09月11日 11:59

 「大正十二年九月十六日夜、大杉栄、野枝ト共ニ、犬共ニ虐殺サル」
 「なでし子を 夜半の嵐に た折られて あやめもわかぬ ものとなりけり」
 ——という言葉がお墓に刻み込まれている。非国民には墓をつくることさえ許されなかった(大杉、野枝も墓はなかったんや)この時代に、この言葉を刻み込んだ宗一少年の父親はどれほどの無念な思いやったやろ。
 「あやめ」さんいうのは大杉栄の妹で、宗一少年のお母さんのこと。殺されたとき宗一少年は7歳やった。
 今年も9月16日が近づいてきました。以下、橘宗一少年の墓碑保存会からの案内を転載します。
 毎年、お盆をすぎた頃から、向井さんはだれかれに案内のハガキを送ってたけど、わたしは今年も名古屋の仲間と参加するつもり。覚王山日泰寺境内に午後1時までに来ればバスで墓前まで行けます。覚王山日泰寺は、名古屋市千種区自由ヶ丘1(地下鉄東山線覚王山駅下車徒歩約15分)。
 土曜なので来れるひとがあればと思って、ここでもお知らせします。(風)

(1)墓前祭
 9月15日(土)午後1時半より墓碑前
 覚王山日泰寺境内に停めたバスが一時に出発します。
(2)藤本功追悼会
 午後2時半より 名古屋市女性会館 第三研修室
 地下鉄「東別院」下車一番出口
 墓前祭の終了後、バスにて会場へ。直接に出席もできます。
 この墓前祭の初めからいろいろお骨折りをしてくださった藤本さんがこの6月お亡くなりになりました。それで、今年の墓前祭のあと藤本さんの追悼会がおこなわれます。

一年に一度くる日2007年09月16日 17:53

 橘宗一墓前祭が毎年おこなわれるようになって、今年で三十三年になる。橘宗一といってもその名を知る人はほとんどいない——

 一九二三年(大正十二年)九月、関東大震災のどさくさに軍閥は流言を放って、何百人とも何千人ともいわれる朝鮮人が民衆によって殺され、平沢計七、河合義虎など九名もの南葛飾の労働者や主義者が習志野騎兵隊に殺された。この不穏な状況下の十六日、大杉栄は、ようやく消息のわかった弟勇一一家とそこへアメリカから来ていた妹あやめの息子宗一の様子を気づかって鶴見へ野枝さんとでかけたんやった。そして、家にくれば魔子とも遊べるしと、連れて帰る途中、大杉、野枝と共に憲兵隊に連行され、三人ともそのまま虐殺されてしまったんや。
 宗一は当時、まだ七歳の少年やった。
 「宗一ハ再渡日中東京大震災ノサイ大正十二年九月十六日ノ夜大杉野枝ト共に犬共に虐殺サル」と碑文に刻みこまねばならなかった父惣三郎の怒りと嘆きはどれほどのものやったろう。
 しかし、この墓の存在は関係者のあいだにも知られていなかったんや。それが、宗一君が殺されて五十二年、碑が建てられて四十数年たった一九七二年九月、名古屋覚王山日泰寺の墓地の近くに住む西本令子さんが犬の散歩途中、「犬にひかれて踏みこんだ小道で、たけなす夏草に埋もれた」この墓をみつけ、碑文を読んでひどくこころ打たれ、朝日新聞「ひととき」欄に投書しはったんや。それが近藤真柄さん(堺利彦の娘で、「一無政府主義者の回想」の著者・近藤憲二さんとつれあい)の耳に伝わり、その二年後に墓碑保存会ができたんやった。
 真柄さんが「……墓を保存しようという気持を燃え立たせたのは、あの無惨な死を無駄にしてはいけない、再びそれを繰り返させてはいけない、という皆の心持の、人間の心の中から燃えあがったものだとおもいます。ただ私は、お墓を保存するだけではなく、このような殺され方をしたこの事件を再び繰返してはいけないというところに重点をおいて考えなければいけないと思います……」と話された第一回の墓前祭に、大阪から何人かといっしょに向井さんにくっついて出席したんやった。
 向井さんはそのころ、サルートンに出入りする仲間うちでは一人とびぬけて年長で、若いわたしらからしたら父親ぐらいの年令やった。それが、この墓前祭に集まったひとたちの中では(わたしらを除いて)一番若いくらいでびっくりした。向井さんは七十三年一月幸徳大逆事件記念集会に上京して、真柄さん宅に泊めてもらったんやけど、そのとき、たまたま、墓碑の発見を伝える西本さんの来信をみせられ、すぐに行けない真柄さんにかわって「ちょっと様子をみてきてよ」という依頼で名古屋に途中下車して墓碑をみにいって……それ以来向井さんも墓碑保存に助力することになったんや。
 その真柄さんも一九八三年に亡くなった。その六年後に刊行された「忘れえぬ人々」——保存会の十五年——に向井さんは「一年に一度来る日——真柄さんへの恋歌」という文章を書いてる。

 「以来例年九月十五日におこなわれるようになった「橘宗一墓前祭」は、ただ大杉や野枝や宗一の虐殺を想起するだけのものに終らず、ぼくにとっては、そこで毎年一度必ず真柄さんに出会えるということによって——(うかつにも長いことそれと気付かなかったが)——幸徳やスガ子やそれから古田大次郎や中浜哲、金子フミ子、和田久、とつづく多くの忘れがたい人々へのおもいをこの一日に凝聚して、「一年に一度は必ず来る」日となったのだった。」

 そして最後に、

 「真柄さんが逝って、はや六年。
 だがぼくは、毎年一回、ずうっと墓前祭で真柄さんに出会ってきた気がする。
 だから、そして今年もまた、ぼくは真柄さんに会いにいく。もちろん生前の真柄さんと共に生きていた幸徳や大杉、スガ子や野枝やフミ子、和田久や村木源次郎……にも。
 それにつながる九月十五日のなかまたち——佐藤ふみさん*小島康彦さん笹本雅敬さん……にも。きっと来ているだろう。
 一年に一度は必ず来る九月十五日、その日に。」
 *佐藤ふみさんは、名古屋の墓碑保存会に尽力したひと。

 わたしは、第一回に行ったきりで、その後はほとんど行かんかった。
 年寄りが同窓会みたいにただ集まるだけでなにするわけでもないし、わたしにはひとつもおもろない。汽車賃つこて行くほどのこともないわ……いうて。
 それがだんだん自分も年をとって、この向井さんの文章に出会ったとき「ああー」と恥ずかしさで体が熱くなった。時々向井さんのお供で出かけていったとき見た、「また来年お会いしましょう」いうて一人一人に握手をし、別れを言い合っていた星野凖二さんや大竹一灯子さんや菅沼幸子さん……の「また来年……」ということばに込められていた深い思いに、わたしは初めて思い至ったんやった。
 年寄りは自分からは何にも語らない。尋ねてくれるひとがいれば、聞いてくれるひとがいれば、たくさん話したいことがあるのに。死者はもっと語らん。自分が探して傍によってこころをよせなかったら、絶対向うからは云うてくれへんのや。今年もわたしはおいちゃんに会いに行った。おいちゃんにつながる九月十五日のなかまたちに会いにいった。
 そやけど、これまで、集まりを続けるための金を集め、人を集め、案内を出し、講師の心配をし、当日の手配の骨折りを中心になって担ってこられた藤本さんが今年九二歳で亡くなってしまわれた。参集するひとたちもだんだん年とって、一人減り二人減りして、今年は二十人もいたかな。塚田さんが娘さんをつれてきたり大竹くんが来てくれへんかったら、ほんまに寂しいかぎりやった。
 向井さんが以前「ただ集まるいうのは何でもないことのように見えるけど、またいつこんな集まりができんような時代になるかもしれん。その時になって急に集まろうとしてもできるもんやない。そのためには、いま、こうしてこの集まりを続けるいうことが大事なんやで」と云うてた。そやけど、なにもお上が弾圧せんでも、老人たちが死んでしまったらこの集まりはなくなってしまうやないか。このままやったら、死者たちの遺言は再び草むらに埋もれてしまうやないか——。

 一年に一度は必ず来る九月十五日、来年のその日に、あなたは来てくれますか。(風)

愚痴は遠くに飛ばせ2007年09月19日 08:56

 スカイプという文明の利器ができたおかげで、どんなカラクリになってるのかわからんのやけど、秋田の恵子さんと何時間おしゃべりしてもただやねん。おいちゃんが「用がなくても訪ねるのがともだちや」いうてたし、恵子さんが「愚痴は遠くに飛ばせ」って名言をはいてたし、わたしはなにかというと、すぐ恵子さんにスカイプする。
 で、このまえもある事件をひき起して? えんえんとおしゃべりした翌朝恵子さんからメールがはいってた。


口は
軽いより、固いほうが、いい。
眼差しは
硬いより、優しいほうが、いい。
そして、心は
異質なものでも受け入れる柔らかさのほうが、いい。

でも、私は
誰とでもフランクに喋れる人も、好き。
硬質な眼差しが、好き。
時には、違うものは違うんだと言える心も、好き。


 わたしはおしゃべり好きで、いたって口は軽い。眼は三白眼で、このごろますます老眼がひどなって、つい眉間にしわ寄せてるから、目付きはさぞ険しなっとるやろ。心は、というと異質なものは反射的に吐き出してしまうくらいや……。
 そのせいやろ。またまた、えらく人を怒らせてしまったんや。わたしには大人のオトコを怒らせてしまう才能があるらしい。わたしにはそんな気はまるでないんやけど……。
 そんなこんなを恵子さんにはなして、混乱した気持がだんだん落ち着いてとりあえず寝たんやけど、朝にはさっそくメールをくれてたんや。
 恵子さんのメールはいつもさりげなく書いてるのに、名文なんやな。そしていつも慰められる。今回もちょっとひとにも見せたくなって、ついブログにのせたよ。(風)

オルタ・グローバリズム運動の現在——その挑戦と課題2007年09月26日 08:46

反G8討論集会のご案内です。
       *
 世界を席巻するネオリベラリズムの理論と実践。これに対抗する反グローバリズム運動は、これまでの運動/ネットワーク/民主主義にどのようなインパクトを与えたのか? 本企画では、三人の識者・運動家から日・米・欧それぞれの視点からの問題の提起をうけ、反グローバリズム運動の実践と課題についての討議を繰り広げていく。

第一部 『グローバル化/新自由主義/アクティビズムの現在』(15:00 〜16:30)
「G8対抗運動の経験ーネットワーク化の実践と課題」 ジェイソン・カークパトリック(DISSENT! )
「ネオリベラリズム/反資本主義」 渋谷望(千葉大学文学部准教授)
「ニューヨーク空間とアナキズムの現在」 高祖岩三郎(批評・翻訳家)
司会 木下ちがや(一橋大学大学院社会学研究科院生)

第二部 ディスカッション(16:40〜18:30)
〈パネラー〉ジェイソン・カークパトリック、渋谷望、高祖岩三郎 
〈コメンテーター〉シグリッド・オーベラー(DISSENT!)、平沢剛(明治学院大学文学部非常勤講師/映画研究)
司会 木下ちがや

日時 10月3日(水) 15:00〜18:30
場所 一橋大学東校舎本館26番教室(会場までは校門から案内の札をたてます)
問い合わせ先 chigaya0809@hotmail.com (木下茅)
*本企画は一橋大学社会学研究科「社会科学の先端的研究者養成プログラム」の助成をうけています

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公開授業&研究会
ドイツG8サミットにおけるオルタナティブ・メディアの役割
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〜今年の6月、ドイツ・ハイリゲンダムに10万人以上が集った G8対抗運動において、オルタナティブ・メディアの果たした役割とは?〜
講師:
ジェイソン・カークパトリック(DISSENT!、Media G8way)
シグリッド・オーベラー (DISSENT!)
高祖岩三郎(翻訳家、批評家)
平沢剛(明治学院大学文学部非常勤講師)
日時:10月4日(木)16:25ー17:55(公開授業)
           18:10ー19:40(公開研究会)
場所:明治学院大学白金校舎 アートホール(パレットゾーン奥)
http://www.meijigakuin.ac.jp/access/index.html
事前申込み:不要
参加費:無料
*講演は英語です。通訳あり。
主催:問い合わせ:明治学院大学国際平和研究所
http://www.meijigakuin.ac.jp/~prime/
E-mail:prime@prime.meijigakuin.ac.jp
TEL:03(5421)5652 FAX:03(5421)5653

2007小石川フリーコンサートvol.2 「ピアノとはなにか」工藤冬里ソロ2007年09月26日 08:51

古くからの友人がやっている自主イベントです。
定員割れ必死なので、早めに行くことをおすすめします。(MN)
       *
●2007小石川フリーコンサートvol.2
「ピアノとはなにか」
工藤冬里ソロ
日時 9月28日(金) 午後6時30分開場 午後7時開演
場所 文京区立小石川図書館・4階ホール
http://www.geocities.jp/koishikawalib/map.htm
東京メトロ丸ノ内線「茗荷谷駅」より徒歩5分
東京都文京区小石川5-9-20 tel03-3814-6745
入場無料 定員80名
小石川図書館・図書館を利用する音楽家の会(図音会) 共催
協力:JMSA(ジャパンミュージックサポートアソシエーション)
http://www13.ocn.ne.jp/~jmsa/
図音会HP:
http://www012.upp.so-net.ne.jp/koishikawamusik/