悲しむ自由のよろこび2008年04月22日 23:15

 昨夜のこと。
 日暮里のサニーホールで、「済州島四・三事件60周年 共に歩もう平和への道」と題された集会が行われた。4.3 済州島(チェジュド)虐殺を思い起こす集まりだ。といっても今年だけではなく、例年同じ場所で催されている。もう5、6年も前になるかもしれない、マダン劇が出色の出来だったことを思い出す。数百人のホールは毎年満席だが、60周年にあたる今年はもちろん会場は人でうまっていた。
 今年は黙祷の後、朴慶南さんが聞き手となって、金石範さんが話をした。1925年生まれの著名な在日の作家だ。
 金さんは、すでに文芸誌「すばる」に発表したそうだけれど、60年後のチェジュドへ訪問されたという。金さんは、そのときは泣かなかったですよ。でも思い出してそれを書くとき、泣いたんですよ、ととつぜん、唇をふるわせながらだった。最初話すのがおっくうそうであった金さんの話はすぐに熱を帯びた。朴さんも泣きながらだった。殺された後も自分だとわかるように結んだタオル。強く触れれば壊れてしまうような骨。
 金さんが済州島を訪れたそのとき、4.3は左翼分子に責任がある、とする意見広告が新聞に出ていたそうだ。抹殺された存在。泣いてはならぬ記憶。3万人余の死者。その半世紀——。
 悲しむ自由のよろこび。その意味がわかるか? と金さんは韓国の若い新聞記者に問うたそうだ。
 話が終わったあと、配られた当日のリーフレットをめくるとアンケートが挟まれていた。虐殺の責任はだれにあると思うか? 虐殺はなぜ起きたと思うか? その他の欄にマルをして、国家による、人間の自治本能と生命を抹殺する行為、と書いた。でも、ことばの——いや、その思いの軽さに気づいて、もっと知らねばならぬ、思わねばならぬ……けっきょくアンケートは出すことができず、持ち帰ってきて、いま目の前にある。
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 今日、地下鉄の駅に置いてあった、「metro min.」という無料の冊子を読んだ。ひさしぶりに藤原新也さんの連載「撮りながら話そう」を見た。
 今回のタイトルは「チベット仏の物語」。ネパールへ、バッチャブッダ(チベットの赤子のブッダ像)をさがしに行ったときのことが書いてある。バッチャブッダは稀少品で、あきらめていよいよネパールを出ようとしたときに藤原さんの前にタンヂェンさんというチベット人の若者があらわれる。バッチャブッダを手にして。
 かれの父親は、自分や母親の目の前で腕を切断され、頭を撃たれて殺された。そのとき、亡くなった父親の切り離された腕の掌の中に見た、バッチャブッダの話だった。
 1950年代だけで、中国軍によって殺されたチベット人は100万人以上。
 現在進行形の死の強制。存在そのものの圧殺。その中で、半世紀以上——
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 悲しむ自由のよろこび。その意味がわかるか? 
 その問いから、私も、身をそらしてはならない。(MN)