デモ申日記2008年09月27日 21:06


 やっと「死刑廃止!! 殺すな!! 105人デモ」のデモ申請が済んだ。書きはじめたらなごなったけど、顛末を忘れないうちに。

七月三十日(水)
 「デモ申請」をするには集合場所にする公園使用の許可がいる。出発はアメリカ村に近い堀江公園がええやろ、とおもって、私はさっそく管轄の公園事務所に出向いたわけや。
 ところが、アカンという。なんでやねん。地区の住民がイベントやデモは近所迷惑で許可できんという。公園が借りれんかったらデモでけへんやないの。デモの自由が憲法にかいてあるんやから、デモが誰でも気安くできるように条件を整えておくいうのが、公園課の仕事やないの。
 町内会長さんにこっちから出むいて交渉するから住所教えていうて、掛け合うこと小一時間。水を一杯もらって、死刑についてもいろいろ話す。ここの公務員さんは、ヨーロッパEU諸国には死刑はないし、いまじゃ、世界全体では「死刑のある国の方が少ない」んやいうことを知らんかった。最初はアカン一点張りやったけど、だんだん興味をもって聞いてくれて? ひとしきり演説や。「じゃ、いっぺん自治会長さんにこちらから話してみる」というので、お願いして帰る。

八月四日(月)
 坂やんと近鉄難波からアメリカ村~堀江公園~解散地点あたりを時間を計りながら歩いてみたら、全部で三十分もかからんかった。このコースだとえらい短いデモになるなあ、と思いながら再び公園事務所に。連絡がくるのをじっと待ってられへん。案の定まだ町内会長とは連絡をとってない由。
 これ以上待ってもいつのことになるかもわからんし、なにしろ、この出発地点が確定せんかったら、ビラがつくられへん。ちょっと遠くなってもいいと思って、南堀江公園を借りることにした。これはすぐ貸すというんや。一週間後やないと許可書は出ないけど、すでに許可は出ていると警察に電話してくれるという。その足で大阪府警に。
 まあ、なんちゅうでっかい建物や。向うに見える大阪城より大きいくらいやんか。正面をはいるとウワーひろーい。天井もグーッと高くて、つきあたり壁面全体がガラスで中庭の緑の木々がみえる。まるでホテルのロビーのようなかんじ。クーラーがガンガンに効いてて、汗でぐっしょりになってたシャツがいっぺんに冷えて風邪ひきそうや。なにがCO2削減に努めましょうや。こんな建物ばっかり建てるから石油を食うんやないか。
 ロビーの両脇に並んでる「応接室」の一つに通される。これが「応接室」? 中は冷房が効いてて寒いくらいやけど、狭いし窓ひとつないし、まるで取調室みたい。
 「デモの申請をしたいので用紙をください」というのに、「そのまえにお話をきかせてください」いうて、まっさきにデモコースにあれこれ注文をつけてくる。アメリカ村はやめてくれ、いうんや。
 「わたしらはデモコースの相談にきたんやないの。コースはもうこちらで決めてるんやから、あんたらはそれを受理したらそれですむやんか」いうても、なんとか「説得」しようとがんばりはる。
 「何千人もデモに集まるいうんなら、そんな大通りをデモしてもええけど、わたしらみたいな百人くるかこんかのような少人数のデモで、そんな車ばっかりのとこ、いっこもおもろないやないの。あかんあかん。こっちはもう決めてるんやから……」
 と、なんだかんだで二時間ちかくもあれこれ話しを聞かせられて、あげく、十月までにはまだ早い。道路の状況も一ヶ月まえにならないとはっきりせんから、今日は申請書は受取れんという。しかし、一ヶ月前でないと受理できんいう法律はないはずや。こちとら愛知県の犬山から汽車賃大枚つこてきてるんや。近鉄でも往復八千円ちかい出費。新幹線に乗ろうもんなら、往復で一万二千円以上かかる。そうなんべんも大阪までいかれへんのや。無駄足にするんなら、交通費出してほしいわ。まったく!

九月一日(月)
 前日、「どこまでも九条の会」で、池田浩士さんの「死刑と戦争」の学習会があったので大阪に。
 朝、一月前にはまだ早いけど、大阪にきてるので、いまから出向くと大阪府警に電話する。
 「今日きてもらっても申請書をうけとれない。まだ道路状況がはっきりしないから」
 という。そしてまたコースを見直すようにくどくどいってくる。ラチがあかん。ほんなら、十八日にはどうしても行きますからいうて、電話をきる。
 
九月十六日(火)
 犬山のわが家に、大阪府警の山本さんから電話や。
 「アメリカ村はアカンていうてはったけど、アメリカ村を通ったデモがあったやないの」
 「アカンとはいうてません。お願いしてますんや。日曜日を返上して、デモ出発と同じ時刻、南堀江公園からアメリカ村をとおって御堂筋を歩いてみました。ほんとにここは道が狭いし、人が混み合ってるし、そんなところを歩いて市民のみなさんのひんしゅくをかったらよくないでしょう」
 「ひんしゅくいうんやったら、デモのそばにおまわりさんがついてるいうことが、ひんしゅくやんか。警察の存在自体がひんしゅくや。
 でも、警察にもりっぱなひとがおるんやなあ。現職のおまわりさんで警察の裏金を訴えて勝訴した、仙波敏郎さんのこと知ってるやろ?」
 仙波さんは二十三歳で巡査部長の試験に合格するほど優秀やったけど、裏金の領収書にハンコをつくのを断ったばっかりに、その後三十年以上も巡査部長のままで冷遇された。でも、奥さんがガンで亡くなって、もう心配かけるひともいないからいうて、警察の裏金問題を訴えたひとや。もちろん警察ではずっといじめにおうてたらしい。
 「事務の仕事してても旅費やなんやいう名目で闇給与もろてるひとがおるんやから、そりゃあうっとうしがられるやろ。それでも仙波さんは辞めんと頑張らはってすごいなあ……
 なあ山本さん、死刑廃止なんて人気ないねん。死刑廃止いうだけでひんしゅくや。死刑廃止がみんなに歓迎されてるんならデモなんかせえへん。死刑廃止は圧倒的な少数派や。そやからデモするんやないの。日頃はみんなひとりぼっちや。一年準備して百人集まるかどうかの小さいデモや。大きな車道路で百人くらいでデモしたら、よけいにしょぼんとなるやんか。道行くひとにマイクがなくても声がとどくような小さい道でないとあかんねん」
 とにかくあさって行くんやから……電話代も税金やで、といっておしまいにする。時計みたら二時間もや。

九月十八日(木)
 前日はSORAで「死刑と人権」の発送。Sやん、Kさん、Gさん、Sさん、Fくん、Tちゃん。いつもの倍の人手で、八時半には作業終了。で近くで一杯やりながらデモの相談。
 デモは流れ解散の予定やってんけど、遠くからくるひとたちもいるのに、そのまま道路上で警官に追い立てられて別れ別れいうのもなんやし、終点近くの元町中公園もかりることにする。元町中公園の管轄事務所は天王寺公園内にある。二時に府警に行く約束やからまだ充分時間がある(はずやった)。
 もうふた昔も前、阿倍野に住んでたころ、天王寺公園はサルートンからすぐ近所で、のんびりした、ほんまにええ公園やった。日曜日、ゴザをしいて反戦露店市をやったり、お客がくるとうちの庭やからいうて散歩に誘ったり……それがいまじゃ、地面はコンクリートで覆われ、公園全体はぐるりと高い柵で囲われ、入園料を払わんと中にはいれなくなった。なんというグロテスク。そうやって公園に住んでた人たちを追い出してしまったんや。
 ちょうどお昼時とかさなって、応対に出てきた職員の機嫌の悪いこと。公園は他と重ならんかったら借りられるけど、公園の「行為・占用許可申請書」に元町中公園愛護会々長のハンコをもらってこい、という。ははーん。誰の陰謀か、そういう手続きをかってにつくって、「慣習」にしてるんや。それで堀江公園は、あらかじめハンコをつかんと通知してるんやな。
 ここで言い合ってもしょうがない。しかし、あんた公務中やろ、機嫌の悪いのやめてんか。あんな遠くの公衆電話まで行けなんてせっしょうやで。十円だすから事務所の電話かしてんか言うたら、自分のケイタイ貸してくれた。会長さんに電話すると自宅にいく道筋をくわしく教えてくれた。大国町で乗り換え、四つ橋線の難波まで。そこから歩いて十分ほど。
 「そやけど、ほとほと、デモ一つするのに、こんなに手間がかかってめんどくさいとはねえ。コース一つに文句つけられ、ハンコまでもらいにいかなあかんねんから……やるなというてるようなもんやんか」
 ぶつぶつ独り言をいいながら、会長さんの家をやっとみつけてハンコをもらう。会長さんは塗装屋さんで、ええかんじのひとやった。どんなデモしはるの、いうから死刑の話をすると、いろんな質問してきはって、小一時間も話し込んでしもた。裁判員制度の話もして、「いやですなあ」というてはった。
 約束の二時はとっくに過ぎて、府警に着いたのはもう四時前やった。山本さんと河野さんのコンビで、またまたくどくどとコースの「指導」。
 「あんたらなあ、警察はわたしらのデモ申請書を受付けてそれを公安委員会にもっていくだけの役目なんやで。それをどおせえ、こおせえいう権限はあんたらにはないの。なんぼいわれても変更するつもりはないんやから。
 このデモに関する条例をちょっとよんでみ。第六条や。この条例のいかなる部分も、行進・集会を行う権利を、いかなる方法においても、禁止又は制限するものと解釈してはならない、とかいてあるやろ……」
*行進及び集団示威運動に関する条例
http://www.city.sakai.osaka.jp/reiki/reiki_honbun/as00006391.html
 河野さんには、同じ名前の河野義行さんが松本サリン事件で警察にいかに酷いことをされたかを話す。警察が謝罪したのは、その八年後、河野義行さんが公安委員になったから仕方なしにや。
 警察の河野さんはその時は黙ってはったけど、しかし、いっこうにデモの「申請」はさせてくれへん。だんだんわたしの方がくたびれてきた。
 それにアメリカ村をでた御堂筋で、そごう・大丸の側がにぎやかいと山本さんはいうんやけど、自分の目でたしかめるまでは信用ならん……ちょっと今日は帰るわ。もういっぺん自分でコース歩いてみて、またくるわ言うて、席をたつ。
 公園事務所は五時半までと言うとったから、急いでまた天王寺公園まで小走り。

九月二十一日(日)
 SORAでデモの相談会やから、その前にデモコースを歩いてみる。中島くんが時計と地図をもって。
 ビラの案内にあるように新大阪駅から地下鉄にのって千日前線桜川駅下車。公園まで徒歩三分とかいてあるけど、七分~十分は歩いた感じ。三方向から丸見えの小さな公園。ここからアメリカ村までけっこうある。人通りは少なくて、パーマ屋さんやったか、ダイバーズショップやったか、店の前でタバコを吸ってる若者に話しかける。人出はいつもこのくらいやという。
 アメリカ村に入ると、さすがに若者たちの街らしい。遅い時間になったら人がもっとふえるやろ。わたしらの予定ではアメリカ村をぐるりとふた回りして、それから御堂筋に出て難波~高島屋~解散地点までを歩く予定やったけど、御堂筋は山本さんがいうたように、そごう・大丸の側の道筋のほうが人通りがあった。そして、坂やんと歩いた時は、全部歩いても三十分で終ってしまいそうやったのに、ふつうに歩いて一時間かかった。暑かったせいもあって、かなりくたびれたなあ。
 終点の公園まではもうしんどくて行ってないから、公園までやと一時間半はみとかなあかんな。年寄り組みは大丈夫かしらん。アメリカ村はふた回りはやめてひと回りにしようかな。山本さんと難航しそうやし……

九月二十二日(月)
 よし、大幅譲歩してアメリカ村を一回りにしたし、山本さんがいうようにそごう・大丸のほうを歩くんやから、今日はもう何ももめることはないやろ。さっさと済ませてはよ帰えろ。猫が待ってるんや。
 「集団示威運動等許可申請書」いうんやけど、目的・実施日時・場所・行進経路・主催者住所・氏名・参加団体・参加予定人員・現場責任者(総指揮者・副指揮者)、そして、別紙に行進経路略図を書き込む。略図は山本さんがあらかじめ書いてくれたのを、それを見ながら書き写すというわけ。(これがけっこうめんどくさい)
 ところが、また問題発生や。出発十四時、解散十五時三十分をどうしてもみとめようとせえへん。「お願い」がスタートや。
 「このコースのこの距離では、デモの歩き方で計算したら五五分。一時間半はおおすぎる」とどうしてもゆずらへん。
 「自分の足でさっさと歩いて、一時間かかったんや。デモやったら老人もいるし、子どももいるし、一時間半はみとかな指揮者として責任がとれん。とにかくこれで公安委員会に出してよ。許可がおりんかったら、審査請求でも訴訟でもおこすから、とにかくこれで出して」昨日の相談会でも、車いすが必要になりそうなひとがくるから、どこかで借りなあかんいう話をしたばかりや。もうわたしも動かへん。
 しぶしぶその数字を書き入れさしたんやけど、山本さんは「とうとうあなたとは人間関係がつくれませんでしたね」いうて苦しそうに顔をゆがませるんや。
 そしてこんどは河野さんが説得を始める。
 「せめて十五時二十分。じゃ、中をとって十五分」
 「あんたねえ。商売の値引き交渉してるんやないんやから」
 「こっちの顔もたててくださいよ」
 コースも変えたし顔は十分たってるはずやけど、まだ足らんかいな。わたしはもう知らんぷりして返事もしない。
 「さあハンコつくから申請書かして」いうと、朱肉をうしろにかくしてハンコをおさせへんのや! もうまったく。
 「デモがいくら時間内でも、故意にゆっくり歩いたら警告だしますからね。これは言っときますからね」と、山本さんの捨てゼリフ。実に実に悔しそうやった。きっと上役に怒られるんやろうな。おまえの指導はなっとらんいうて――。
 これだけのことで、十時から一時まで。警告何回か出たら逮捕らしいわ、あなおそろし。
 さあ、十月十二日まであと十四日!
 「死刑廃止!! 殺すな!! 105人デモ」は、ただいま九十一人や!(ふう)

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