罵倒の不自由ではなく、語り合い行動する自由を!【討論集会】「街頭行動の自由を考える」へのお誘い2012年10月05日 01:07


仲間へ!
Internacia tago de kontraŭ milito!
来る10月21日(日)
──「街頭行動の自由を考える」と題し、下記討論集会が行われます。
私は麻生国賠訴訟団の仲間のひとりとして、ここに参加します。
「罵倒の不自由ではなく、語り合い行動する自由を!」
ぜひこの場を、みなさんと共有したいと思います。
中島雅一
       *

【討論集会】
街頭行動の自由を考える

日時:2012年10月21日(日)15:00開場 15:30〜
場所:一橋大学東キャンパス東2号館2201教室 資料代:500円
   (中央線国立駅下車南口徒歩約6分)
※排外主義者と警察への協力者の参加・立ち入りを禁止します。

       *

罵倒の不自由ではなく、語り合い行動する自由を!

▼私たちは「不自由」が充満した社会に生きている。飯も、着るものも寝るところも、働き遊ぶことも、むつみ合う歓びも、街頭で訴えることも、何ひとつ思うようにならない。できるのは、ネット空間で人を罵り倒すことくらい。名を隠して貧弱な雑言を競い合い、ささくれた熱狂を使い果たしては浅く眠る。これは果たして「自由」なのか? いや「監獄」である。原発震災はこの「監獄」のような不自由を剥き出しにした。だから、自己規制の壁を打ち破って人々は車道に溢れ出す。経産省前のテントに暮らし、官邸城の裏から叫ぶ。

▼官邸前で起きたことは「自制された蜂起」なのか、それともコントロールされたその紛いものなのか。そのどちらへ向かう可能性もある、と言おう。「不自由」を生むもう一つの源は、あの「白地に赤い丸」の旗である。原発からの自由を求める賑やかなデモの傍らには、あの旗の中毒者たちに襲撃されるデモがいつもあることを忘れるわけにはいかない。にこやかな警察官たちの腕づくの「誘導」と、旗に憑かれた者たちの突撃が重なり合うところにこそ「不自由」の全体像があるだろう。

▼それでも、命が危険にさらされる時、人々の中から自然な「法」が立ち上がる。原発震災から600日、それぞれの場所から「街頭行動の自由」を語り合おう。

第1部)
パネルディスカッション:「この不自由の中から、何を実践するのか」
太田昌国(編集者)
木下ちがや(工学院大学非常勤講師)
桜井大子(反天皇制運動連絡会)

第2部)映像サンプリング上映
「街頭の自由と不自由」イラク反戦から反原発まで

第3部)フリートーク

連絡先:一橋大学鵜飼研究室 042-580-9034
Mail:gaitoukoudounojiyu@yahoo.co.jp
主催:討論集会「街頭行動の自由を考える」実行委員会/震災・原発事故を考える会@一橋大学
web:http://state-compensation.freeter-union.org/

私たち討論集会「街頭行動の自由を考える」実行委員会はこれまで、大衆運動が無名の人々によって構成されているという共通認識から、実行委員会に参加する個人・団体を特段公表してきませんでしたが、どのような人たちがやっているのか、と多くの問い合わせがありました。
論争なき大衆運動を変えていくためにも、この討論集会をひとつの契機としたいと考える実行委員会は、より多くの参加を求めて、下記のとおり公表します。

討論集会「街頭行動の自由を考える」実行委員会
団体:麻生邸リアリティーツアー事件国家賠償請求訴訟団 救援連絡センター
個人:鵜飼哲(教員) 上平学(反天皇制運動連絡会) 太田昌国(編集者) 大麦ジョージ 小倉利丸(大学教員) キー 小塚太(フリーター全般労働組合) 佐藤零郎(4.5釜ヶ崎大弾圧原告) 園良太(「麻生国賠」原告) 中島雅一 張本勲(救援連絡センター運営委員) B.O.T(無政府韻踏争議団) 平井玄(半径1キロの思想家) 村上らっぱ(靖国解体企画) 山口素明(予備校教員)