「〈終身刑問題〉をめぐって」2008年01月05日 14:13

「風」(48号、2007.12.1)を「黒 La Nigreco」のホームページにアップしました。
「〈終身刑問題〉をめぐって」
「〈代替刑の問題〉の問題——死刑廃止運動の岐路」
読んでください。
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/saluton/archive/kaze48.htm

Tくんへ2008年01月10日 22:40


 東急による渋谷駅の野宿者排除に対する抗議行動に参加したときのこと。みんなが抗議の声をワーワーあげてるのに、Tくんは排除されていくひとたちをみて涙が流れてしかたなかったそうや。声ひとつあげられなかったとき、それをみていた公安から「なんだ、おまえ、震えてるじゃないか」とからかわれたんやと。新年会のとき、そんなことをボソッと、Tくんは中島くんに話してくれたという。
 すると、となりでその話を聞いていたMくんが「もう二〇年もまえのことだけど、泊原発反対行動で、ぼくらと機動隊がジリジリ対峙していた時、一人の機動隊員がデモ隊の前で『お願いですから、もうこれ以上こっちに来ないでください。これ以上中に入ってこられると、ぼくたちはあなたたちを排除しなければならないんです』と泣きながら訴えたんだよ。対峙した現地の仲間も泣いてた……」と話をしてくれたんやてね。
 わたしも泣き虫やから、この話をきいて涙が出てきたよ。そしていろんなことを思い出した。
 Tくんはわたしと誕生日が同じそうやから、来月で二五才になるのかな。わたしは二二才で東京に出ていったんやけど、それまで田舎で「わたしはベトナム戦争に反対します」いうビラを一人でまいたりしてた。
 テレビのニュースで機動隊と学生がぶつかって、学生が石投げたりゲバ棒もったり火炎瓶なげたりするのをみると、戦争反対をいってるのに、なんで石投げたりゲバ棒もったり火炎瓶なげたりするんや、それじゃあ、敵と同じにことになってしまうやないかと違和感でいっぱいやった。
 学生たちははじめからゲバ棒もったり石なげたりしてたわけやない。初めはヘルメットもないし、素手やった。それが機動隊のひどい暴力から身を守るためにしだいに学生たちもヘルメットを被ったりゲバ棒をもったり、石をなげるようになったんやけど、そうした流れの結果だけをみてわたしは反感をもったんやった。 それが東京に出て山谷の労働者に出合ったんや。初めて山谷を知った時は、やっぱりTくんと同じで涙が止まらんかった。そして、ただ黙っていっしょにデモに加わったり、黙ってビラを渡したりしただけ。ことばはなかなかでてけえへんかった。
 誰一人友だちのいない大都会で、ほんま神経衰弱になった。朝、公園で一人ベンチにすわってたら、目の前の高架をギュウギュウ積めの通勤電車が走ってく。「あー、奴隷が運ばれてるー」って恐ろしかった。新宿の街でひとにぶつかりながら歩いてると、「あー、あー」って叫び出したくなった。
そして突然わかったんや。
 テレビで新宿騒乱事件のことを知ったときは、やっぱりなんであんなことをするんやと思ってたのに、新宿の街を歩いてたら、わたしも車道に走り出て自動車を止めたくなったんや。道路の敷石をはがして線路において電車もとめたくなった。 この息の詰まるような大都会を壊してしまえ、メチャメチャにしてまえとわたしもおなじように叫んでたんや。その叫びは新宿騒乱といわれる事件で人びとがあげた叫びと同じやんか——って。
 六九年頃の話や。

 七四年にわたしは大阪に移ってきたんやけど、八〇年ころやったかな。刑務所が懲役囚に作らせた家具とか靴とかいろんな品物を「矯正展」いうて、一般に売り出すんやけど、わたしら、その会場に「明るい監獄のウソ」いうビラをつくって、まきにいったことがある。釜共闘や三里塚支援のひとたちやいろんなひとにも呼びかけてやったから、それを聞きつけた警察がなんと機動隊カマボコ四台つれてきて、わたしらを会場に入らせないんや。それでまあ、いろいろ攻防戦があったんやけど、わたしは機動隊員の一人に話しかけたんやった。
 それを傍で見ていた釜のおじさんが、わたしのとこにきて「なんであんなケイサツの奴らとにこにこ話をするんや。なんでにこにこできるんや。わしらは日頃あいつらに虫けらのように扱われ、どんなひどい目に合うてるか。さっきから見てたらあいつらと親しそうに話なんかしやがって。それを見てるだけでわしは腹がたつ。ムカムカする」ってすごい剣幕でしかられた。「そうか。そうやな」って思った。このおじさんの顔はいまでも忘れへん。

 他にもいろいろ思い出すことあるけど、そうしたいろんなことに出合ったりして、だんだん自分以外のひとに対する想像力が多少はもてるようになってきたんやないかと思ってる。そやけど、初めの自分が持っていた一次的感情は絶対的なもんやないけど、それは自分自身のもんや。そやからそれは捨てることはでけへんし、自分にこだわりつづけたらいいと思う。
 でも「運動」は一次的感情をぶつければいいというわけにはいかん。それしか出来んときも、それが大事なときもあるけど、それだけでは続かんもんな。やっぱり「やり方」を考えなあかんねんな。表現・発散・解放や。その三つがそろったあの手この手を考えなあかん。そやけど、これが言うはたやすくするが難しい……。ま、自分自身で「あ、これ、やりたい」って思ったときにだけ、やったらそれでええんちゃうか。(風)

ええかげんにせえよ2008年01月16日 23:01

 灯油がまた100円上がって一缶(18L)1746円になった。去年は1380円やった。そのまえは1100円で、そのまえは980円やった。
 わたしはこのボロ家を気に入ってるけど、なにしろ冬は隙間風で寒いんや。猫もわたしも寒がりでどうしても久板卯之助さんにはなれん。なんぼ値上がりしてもついストーブをつけてしまう。それでもえらい倹約するようになった。
 考えたらわたしらが子どものころは、ずっと雪が積もってたし、屋根からつららが下がってたし、今よりうんと寒かった。そやのに家の暖房は、家族五人に小さな掘りごたつと小さな火鉢ひとつや。蒲団に入っても蒲団が冷たかった。それがいまじゃ、わたしのような貧乏人でも石油ストーブでお湯をじゃんじゃん沸かして湯たんぽをふたつも蒲団に入れて、あったかーくしてスヤスヤ眠れるんやから、なんと贅沢なくらしかと思う。これで充分くらせるんやから、倹約もええこっちゃ――とおのれについてはおもてるで。
 そやけど、きのうだったか、おとといだったか、テレビのニュースで福田サンが、「……原油値上がりに対して対策は考えねばならないとは思いますが、温暖化防止や、これ以上CO2を排出させないためには、石油の値上がりで使用量が減るのはいいことなんではないでしょうか」なんて云ってるんや。ほー、まあ、ぬけぬけと、しゃあしゃあと、よういうよな。
 いまのような、ありとあらゆるものが石油と関係ないものはないくらいの産業構造・社会構造をつくりあげたのは、ひたすら金儲けを追う大企業と国家のたくらみによるもんやんか。わたしらのくらしは石油なしでは一日ももたんようなことになってしもてる。いうたら麻薬(石油)中毒患者にしたてられてしもてるんや。ジャンジャン麻薬を使わせておいて、それなしにはやっていけないような体にしておいて、「どうか、いままでどおりの値段で売ってください」とすがりつく中毒患者に対して、「これは中毒をなおすにはいい機会ですよ」と麻薬の売人からぬけぬけ言われてるようなもんや。そして売人たちは決して麻薬をつくるのをやめようとはしないし、あいかわらず麻薬で儲けつづけようとたくらんでるんやからな。
 福田サン、あんたから倹約せえとはいわれたないでえ。(風)

ならばもう少し知らなくてはならない2008年01月22日 20:49


 きのう、森達也著『死刑』(朝日出版社)——が送られてきて、すぐ読み始めた。
 自慢やないが、わたしは本を読むのが遅い。白内障になってからはさらにノロノロや。それが読み始めたらやめられなくなって、ボーッとしてくる目をなだ目すか目しながら、いま読み終わって、まだ「死刑」が頭をグルグルしてるとこ。
 森達也さんの本を読むのは初めて。『年報・死刑廃止 '07』(インパクト出版会)で安田さんたちと対談してはるのを読んだ記憶はあるけど、そんときの印象は、ええひとみたいやけど、なんや自分の立場いうもんがはっきりせえへんひとやなあ、という印象やったんやけど。
 『死刑』は、判り易い言葉で、つねに自分の本心をのぞきながら照らしながら死刑に向き合って書かれていて、その誠実な文章にわたしは引き込まれて読み進んだんやった。森さんはいろんな人に直接に会って話しを聞きにいく。
 これから死刑が確定する人、かって死刑が確定していた人、弁護士に元検察官。政治家に元裁判官。刑務官の苦悩や教誨師の煩悶に触れ、廃止を願う人、存置を主張する人、犯罪被害者や遺族のひとたち——へのインタビューは、森さんの人柄があってこそ引き出せたもので、ずんずん先が読みたくなる。
 でも森さんは、決して死刑存置派ではないけど、廃止派でもなくて、死刑のまわりをぐるぐる巡って揺れ動く。その思い惑い逡巡にわたしは立場の違いを感じながら、最後まで読んできて……そして、わかったんや。
 この逡巡・揺れ動きこそが「死刑」(制度ではない)のもつ本質なんやって。

 わたしは高校生のとき、死刑について友だちに聞かれて、なんの躊躇もなく反射的に「反対」と答えたけど、その後、「反戦」をいう仲間うちでさえ「死刑」は必要というのをきいてびっくりして、改めて「死刑」という問題の難しさを考えるようになった。でも、自分自身の「死刑」にたいしての立場というか、「きもち」が揺らいだり迷ったりしたことはないねん。そやからそのぶん考えが単純で浅いんやと思う。
 それで森さんの立場をつかみかねたんやけど、わたしは、この本を読みながら、人間について、人間が社会を構成して生きていくということについて、改めていろいろ考えさせられた。考えれば考えるほど難しいことばかりやけど、わたしは森さんの結論に頷くことができる。これはほんまにいい本やった。
 「死刑は制度であると同時に民意でもある。言い換えれば人の意識下に直結している。まるで何らかの触媒であるかのように、これに触れようとする人の思想や感情、イズムや生命への考え方までも浮かびあがらせる。周縁に様々な要素が滲む。だからどうしても、制度としての輪郭がはっきりしない。ならばもう少し知らなくてはならない。……」
 いま、こんな森さんの文章を噛み締めている。(風)

北海道自由エスペラント協会のこと2008年01月24日 00:04

ウリの仲間のみなさん、お元気ですか。東京は今日は雪が降りました。
今年からエスペラントをはじめました。
動機はふたつ。
いつか、ソウルのアナ仲間とエスペラントでしゃべりたいから。
それから、札幌から発せられた反G8アピールにふれて。
ちょっと長いけど、その北海道自由エスペラント協会(Libera Esperanto-Asocio en Hokkajdo)のアピールを、設立趣意書とともに、一挙に掲載します。
↓こちらの丁寧な紹介も見てください。
http://d.hatena.ne.jp/kaxima/
“やくざな”言語を、どれだけ身に付けることができるか。自信はぜんぜんありませんが、ひとまずやれるだけは……(MN)



北海道自由エスペラント協会設立趣意書
北海道自由エスペラント協会とは

エスペラントとは
 1887年、ロシア領ポーランドの眼科医ザメンホフが考案した人工言語である。当時ポーランドには諸民族が生活をし、民衆同士の言語の相違によって十分なコミュニケーションがとれず、互いに反目しあっていた。ヨーロッパに広く見られた民衆同士の軋轢に心を痛めたザメンホフは、エスペラントの普及運動を開始した。この言語は特別な教育を受けない民衆にも容易に習得・使用できるように、簡単な文法と国際的にわかりやすい単語で構成されている。現在、世界100以上の国・地域でおよそ100万人の学習者・使用者(エスペランチスト)がいる。

北海道自由エスペラント協会とは
 エスペラントを民衆の闘いに役立てるために活動する。最初の活動として、来年2008年のG8洞爺湖サミットに反対する国際アピールを発することとなった。この反G8の闘いではエスペランチストにかぎらず様々な国際的な活動家と連絡をとりあい、闘いが国際的な広がりを持つよう活動する。メンバーは国際アピールに賛同する北海道在住および北海道につながりのあるエスペランチストとその支持者で構成される。当面、代表は宮沢直人(53歳)とし、協会は諸個人の自発性と協同作業で運営される。事務所は001-0045札幌市北区麻生町1-3-13に置く。

北海道自由エスペラント協会
001-0045札幌市北区麻生町1-3-13 TEL/FAX 011-717-4189  郵振02710-8-44861



北海道自由エスペラント協会 国際アピール
G8洞爺湖サミット反対!
国際主義・直接行動の闘いに結集しよう

 我々、北海道自由エスペラント協会は、ともに闘う北海道の仲間と共に、世界のエスペランチスト・エスペラント学習者・友人たちに反G8の闘いに参加することを訴える。闘いはここ北海道で国際的に展開されるだけではなく全世界で行われるであろう。
 世界を支配する大国8カ国(米国・カナダ・英国・フランス・ドイツ・イタリア・ロシア・日本)の指導者8人が、来年2008年7月7日から9日まで、日本の北海道・洞爺湖でG8サミットに集まることが決まった。サミットは国際資本の利益のための密室の会議であり、グローバリゼーション(巨大資本の世界的展開)を推進するものである。このグローバリゼーションのために、世界中の労働者・農民・市民・そして先住民たちが苦しんでいる。
 今回の開催地北海道は、第二次世界大戦後も保持し続ける日本の植民地のひとつであり、同地に日本人の到達以前から住んでいる先住民族アイヌに対して過酷な同化政策が行われた歴史をもつ土地である。日本政府はいまだにあきらかに先住民であるアイヌ民族を「先住民族」とは認めようとしない。にもかかわらずサミットにおいて日本政府はアイヌ民族の文化を利用しようとすらしている。(民族の文化を利用するのであれば、最低限先住民族としての存在を認知してからにすべきである)
 日本政府が行っているいわゆる改革政策は、東京の好景気を生み出すと同時に、北海道の深刻な不景気をも生み出している。日本の改革政策とはグローバリゼーションであり、格差社会とはその結果である。北海道の労働者・農民・漁民・商工業者はさらに大きな困難をかかえるか、かかえようとしている。だが、北海道をはじめ日本の民衆はいまだ自らのかかえる課題とグローバリズムとの関係を見出せないでいる。
 今こそ、反G8・反グローバリズムの国際的闘いが日本、北海道で求められている。国際主義と民衆自らの直接行動を軸としながら、幅広く重層的な統一戦線を形成しよう。労働者・農民・知識人・青年・地域住民・先住民の広範な反グローバリズムの闘いをここからこの地に築くため、全世界の同志・仲間の決起を訴える。
 エスペランチストは現地での国際的な参加者の通訳・連絡にその役割を求められている。そして可能であるならば、エスペランチスト自身の部隊による国際的反対行動を行いたいと考えている。
 2007年10月16日



G8サミットとエスペランチストの役割
——韓国闘うエスペランチストグループ設立集会での北海道自由エスペラント協会代表の発言

G8サミットとは何か
 2008年G8サミットは7月7日から9日まで日本の北海道で主要8カ国(アメリカ、イギリス、イタリア、カナダ、ドイツ、フランス、日本、ロシア)の首脳会議が行われる。それまでに環境大臣会議(神戸)、外相会議(京都)、財務相会議(大阪)など各大臣の会議が日本各地で行われる。このサミットは毎年8カ国持ち回りで開催している。2007年はドイツ、ハイリゲンダムであった。
 G8サミットは、貧困、環境破壊、戦争の拡大を招いてきた新自由主義的なグローバリゼーションの有力な仕組みとして機能している。それは1973年のアメリカ、西ドイツ、フランス、イギリスの4カ国による蔵相会議までさかのぼれる。サミットは戦後の国際経済秩序をささえた金・ドル本位制の崩壊と、オイルショックに対して国際新秩序を模索してはじまった。現在はグローバル化・ボーダレス化した経済問題、安全保障、治安問題などをあつかっているため「グローバルガバナンス」(地球統治)と呼ばれることも多い。
 G8サミットの政策は、「新自由主義」というイデオロギーにもとづいている。「新自由主義」の政策には5つの柱がある。
 1.関税障壁の撤廃(農産物の輸入自由化)
 2.公共部門の民営化(鉄道、郵便、医療、水道、教育、などの諸分野に民間参入)
 3.労働の柔軟化(労働法制の基準緩和、非正規雇用の推進)
 4.規制緩和(金融、資本投資の規制、環境規制などの緩和)
 5.警察国家化(テロ対策、移民管理の強化)
 サミットに参加する国々はIMFや世界銀行、自由貿易協定などを通じて、世界中のあらゆる国々を「新自由主義」へと方向づけてきた。世界は多国籍企業を中心とする巨大企業の利益を優先し、大多数の人々を貧困に陥れる方向に突き動かされている。
 このG8サミットは国連から委託されたものでもなければ、各国の国会から承認されたものでもない。まったくの私的な会合である。そもそも参加各国の人口は全部あわせても全世界の14パーセントにしかすぎない。にもかかわらず全世界の利権はこのようにG8に集中している。全世界の国民生産の3分の2、地球上の二酸化炭素の排出量は47パーセント、エイズを含む医療特許権の80パーセント、武器輸出の90パーセント、軍事支出は60パーセント、IMFに対する投票権の48パーセント、世界銀行に対しては47パーセントにもなる。G8諸国はその非民主性を隠し、世界に対する大きな責任があるにもかかわらず、自らの利害調整と見せかけの人道主義で世界中の人々をだまそうとしている。

対抗運動とエスペランチストの役割
1.平等と国際主義のシンボル
 このような欺瞞的なG8サミットに対して特にヨーロッパでは、アナーキスト、コミュニスト、NGO組織などがゆるやかなネットワークをつくり、国際的な反サミットあるいはオルタナティブサミットの運動で大きく対抗している。2007年ドイツでは10万人もの人々がサミット会場を包囲した。
 しかしアジアではヨーロッパのような大規模な国際的対抗運動は実現していない。これはアジアにおいてサミットの矛盾が現れていないというわけではない。さまざまな社会的歴史的要因を考えることができるが、ひとつ大きく取り上げることができるのは、言語の障壁の存在である。私は10年以上日本の公式の英語教育を受けてきたわけだが、細かい打ち合わせをする際、ヨーロッパからの一通の英語のメール(たぶん彼は30分程で書いたに違いない)を解読するのに2日間、返信するのに3日間ついやしている。私たちは運動の中でも不平等と非効率に直面する。
 このアジアの状況下、エスペランチストはその存在自体、言語の壁をのりこえる平等と国際主義のシンボルとしての存在意義があるといえる。
2.情報の共有
 インターネットが普及し、携帯で撮った写真をその場で送れるようになったにもかかわらず、民衆の運動での国際通信は限られたものになっている。写真にエスペラントのキャプション(いつ、誰が、どこで、何を、なんのために)をつけるだけで立派な国際情報になりえる。これならエスペラントを習いたての初心者にもできることだ。必要なのは闘うエスペランチストの国際ネットワークだ。この集会はそのためにもある。
3.互いの経験と立場の理解と尊重
 相互理解と相互尊重は決して長々と続く議論の中からは生まれてはこない。共同の戦いの中での議論と実践の中から生み出されてゆく。粘り強い努力とエスペラントの能力も要求される。にもかかわらず私はこの点についても常に楽天的だ。なぜなら私たちは共通の理想を持ち、共通の敵がいるのだから。
4.国際共同闘争
 それぞれの母国で行う闘いを国際的に結び付ける場合、通信員の役割は大切になる。だが、どこか一ヶ所に集まる国際闘争の場合、通訳や国際連絡などがはるかに重要で複雑になっていく。敵がグローバリズムを推し進めてくる中で、私たちが肩をならべて闘い国際連帯を実感することがますます重要になっている。私たちは資金的困難やコミュニケーションの困難を乗り越えてあらゆる可能性を追求していくことになる。
 そして、どの国際会議でも無視していた“やくざな”言語で意志を統一したさまざまな民族からなる国際部隊の登場に、世界の帝国主義者たちがふるえあがる日がくるのを、私は夢みるのである。
 2007年12月15日

人民のようなる貌したれども 人民にアラザル也2008年01月28日 22:16

 調べ物をしようと、本棚をさがしてたら、ほこりまみれのへんな辞書をみつけた。表紙には、〈当用和漢語彙〉保省司内(号用仙)著とある。パラパラとめくってたら、こんな文句に出会った。以下その抄出……

【半選虚】「生半可ナ選挙ハ虚シ」とよみたまうべし。えらぶによきひとのなくて、なおえらべとや、しきりにことあげするは、ただ代議士てふ支配の仕組みを維持して、うぬがためにせんとするやからのためにこそ。 さらば最善なくば次善を、それなくてもなお三善をと云う心読めたり。などてか、しかすがにまでして選挙せざらんことのあるべしや。
〈半選虚〉とは、そのように中途半端の投票をなすことつよくいましむる也。
 
【叛戦挙】「コゾリ 戦ニ叛ス」、とよみ給うべし。いくさに反対せざるものは、天皇・領主・それにつらなる支配の手先のみにて、人民にあらじ。それいくさは、他国との戦いといえども支配者自ら剣をとりてたたかうにあらず。われら下じものものをして武器をとらしめ 有無なく戦わしむるなり。死へと追いやるなり。彼らは人民の死をもて戦う以外に、戦う手段をもたざるなり。さらば戦いとは、他国の支配者との戦いのようなれども、支配者対人民の戦いなり。支配者にとりては死を肯わざる者、平和なる暮らしをねがう人民との戦いなり。支配につらなることなきわれら人民にして、コゾリイクサニハンせざるものいかでかあらん。もしあらば人民のようなる貌したれども 人民にアラザル也。

 大阪知事にあのいやらしい橋下が当選したらしいけど、選挙のたんびに、この国がどんな貌してるのかようわかるわ。保省司内というひと、だいぶ昔の学者?らしいけど、昔のひとはよおわかってはってんなあ。(風)