死刑廃止! 殺すな!105人デモ 10月12日(日)於・大阪 ― 2008年08月11日 16:01

世間にはばかることなく、
死刑廃止を宣言する
デモをやろう!
──10月12日まであと2ヶ月
かたつむりの会
暑中お見舞い申し上げます。
犬山は今日も36度。すでにわたしは夏バテ気味。みなさんお変わりありませんか?
“10月12日・世界死刑廃止デーにデモをしよう”と「かたつむり」で呼びかけをしたのが4月初めやった。デモまであともう2ヶ月しかない。
この間、鳩山邦夫前法務大臣は、その手で「粛々」と殺しをつづけ、もう13人も執行命令を出して、これからも、2ヶ月に1度は処刑をやるといってはばからなかった。
大道寺将司さんの房に、先週だったか、朝ごはんを食べたあと、まえぶれもなく職員が4人ぐらい入ってきて「すわ!執行か」と思ったそうや。
実際は視察委員会の要望で房の写真を撮りにきた──ということだったらしいんやけど、全身凍りつくようなことやったろう。(無罪が証明されて30年の獄中生活から解放された赤堀政夫さんもこれと同じような目にあって、一しゅんにして髪の毛がまっ白になったという話を聞いたことがある。)こんな恐怖の日々を強いられている死刑囚は、いま105人!
鳩山前法相は、「90パーセントぐらいが(死刑を)支持している」という感触をもってるというてるそうや。でも、この数字はあてにはならんやろ。たとえば、今の日本で行われている「死刑」について、具体的には知らせないまま、誘導するような質問ばかりするからこうなるんやないか。たとえば──
▼事実として死刑が犯罪の抑止力になっていないこと。
▼「無期刑といっても10年たてば出てくる」などという俗説が真っ赤なウソだということ。
▼実際刑を執行するのは、日ごろ死刑囚とやりとりのある刑務官や。彼らこそ、死刑廃止を願ってるということ。(法相は彼らに処刑時にカーテンをひかないように指示した。)
▼絞首刑がギロチンより残虐だということ。(そやからナチス政権下では政治犯に絞首刑が適用されたんや。)
▼EUに加盟するには「死刑廃止」が条件やけど、日本は国連から死刑廃止条約に調印するように強くせまられてること。
▼冤罪の温床としての警察・検察・裁判の実態。(代用監獄に人を閉じこめて、取り調べでは「自白」を強いて、「推定有罪」で人を裁く。)などなど……。
とはいえ、日本社会にくらす人の多くが「死刑存置」を望んでるのは確かやろ。
逮捕する・監禁する・拉致する・戦争する・刑罰を与える・死刑にする。
国家だけが、この社会の中で合法的に暴力を使うことができるいうことになってるんやけど、それはわたしらが頼んでそうなったんやない。それがいつのまにか、世間の「死刑支持」に象徴されるように、むしろ国民の側がそれを頼んでる・望んでる──。
つまり、「死刑」は権力によって一方的につくられてきただけやない。人びとのくらしと密着して、まるで細胞のヒダヒダに食い込み、簡単に説明のつかん、リクツなしの信念にちかい感情としてあるんや。日本社会の秩序観・価値観・倫理観・美意識……のようなものと深くつながってる。そやから、ほかのことではほとんど異和感がなく、むしろ親近感を抱いてる人やのに、こと「死刑」のことになると話ができなくなる……ということもしばしば経験することになる。(天皇制の問題もそうやな。)
そやけど、鳩山前法相の言動が逆に反発を引き出して、「死神」騒動になったり、「死刑」をテーマにした森達也さんの講演会はどこも盛況やけど、その熱気はファンが集まってるからいうことだけではないやろ。
90パーセントの世論いうても、マスコミの煽動的報道や、被害者感情に当事者ではない自分の感情をひたすら重ねて、「殺せ殺せ」と叫び出す人に嫌悪感をもったり、「ベルトコンベア」発言に反発や違和感をもってる人は、けっこうおるんや。でも、「死刑廃止」とは言い切れへん「何か」が、こころのうちにあるんやな。
その「何か」は、「死刑廃止」の立場のわたしらとまるっきり対立したもんやない。ひどい殺人事件を目の当たりにしたら、誰でも頭が混乱するし、こころが痛むし、「犯人」を憎む気持も当然やとおもう。それは誰でも同じやろ。
そやのに「死刑廃止派」としてマスコミから眼の敵にされ、まるでお互い敵同士のようにされてしまってる。たとえば光市事件のテレビ報道を覚えてるやろ? あれは、ほんまにひどかった。あれで「死刑廃止」をいうものを「非国民」にしてしまったんや。
誰もがじわじわと「不安」や「非常事態」を感じるような世の中になってくると、秩序を乱すもの、異質とみなされるものに対する寛容さがなくなる。それどころか「殺してしまえ」の声だけが強調される。
こうなると「そこまで言わんでも」と思ってる人たちも、自分の声が出されへん。右みて左みて、指弾されるまえに口をつぐむ……。
「となりのひとが怖い」時代のまっただ中にわたしらはおるんや。
そやさかいにデモや!
「死刑廃止」を大っぴらに世間に向かっていうねん。
この世はいやな渡世で、希望はちっともみえへん。貧乏人や年寄りは飢えて死ね、とでもいうような政治や。それでもわたしは大声で叫ぼう。
死刑廃止!! 殺すな!!
10月12日の「殺すな!105人デモ」は、誰かのためにするデモやない。「死刑廃止」は自分たちがどう生きるか──という問題なんやから。
「死刑」のない社会を望むのは、なにも難しいリクツからやない。「殺されたくない」「殺したくない」というのは、これも誰でもがもってるきわめて自然な感情や。誰はばかることのない感情や。それを声に出して天下の公道を歩こうというんや。「死刑廃止」を夢見ることは楽しいことや。ワクワクするようなことなんや。
そやから「殺すな!105人デモ」のデモも楽しい、ワクワクするようなデモにしたい。
それで改めてのお願いです。
現在、呼びかけに応えて、「デモに行く」と返事をくれはった方は52人。これまで大阪で死刑廃止のデモをして、50人も集まったことはないから、すでに52人も! ともいえるんやけど、今回のデモは、どうしても105人以上の人にきてもらいたいんや。
すでに参加の応答をしてくださってる方々、あらたに参加を決めた方、あなた自身の呼びかけで、自分の他にもう一人誘って来てくださいませんか。ぜひ友達を1人つれてきてください。
10月12日お会いできるのを楽しみにしています。
デモのあとには、一杯のみながらの交流会も予定しています。
◎いかなる「死刑」にも反対!
◎「殺したくない」「殺されたくない」
◎生まれたら殺されることなく生きられる社会を!
★
連絡先・かたつむりの会
大阪中央郵便局私書箱1191号
振替・00900‐3‐315753
死に神たち ― 2008年08月16日 15:15
前法相鳩山邦夫が、「死に神」とよばれ、憤ってみせたことは記憶に新しい。
13人の執行命令を出しながら、これは「殺人などということは断じてありえない」という記事も読んだ(「死刑は粛々と執行するのが大切」『週刊朝日』5/2号)。彼にとって、処刑は、殺人を意味しない。この倒錯こそ、「死に神」とよばれるにふさわしい。
彼は、処刑時、刑務官がとざしていた青いカーテンを開けさせた。その理由を問われて、こう説明する。
「『ちゃんと見ろ』ということです」(「週刊朝日」同)
バタンコの落ちたあと、およそ20分といわれる吊された体のふるえ。その下で、誰が、何を見るのか。まだあたたかい体をどうして受け止めるのか。
「斎戒沐浴」した彼がそこにいたとしても、おそらく何も見えない。見えてはならない。
現法相保岡興治が昨日、靖国神社に参拝したという。
「死に神」ということばが思い起こされてならなかった。
戦争は、敵国民を殺すものだ。その手段として、結果として、じつは、自国民をこそ、大量殺戮に陥れながら(ヴェイユが見切ったとおり——)。
「国民」を殺戮に動員しながら、死後もなお忠誠を誓わせ、玉砂利の向こうに永久に鎖につなぐやしろ。魂を魂として放つのではなく。
その死を、「特別な死」とすることで、自他に対する大量殺戮動員の責からのがれ続けているのはだれか?
死刑は、殺人ではない。
戦争に動員し、殺させ、殺されても、それは殺人ではない。
——「殺し」を「殺し」といわせないのが、「死に神」たちの巧まれたやり方だ。
そうやって、どんな「犯罪者」よりも、桁違いに残忍かつ、合法的に「殺し」をしてきた。いまも!
だから私たちはかきけされようが叫ぶほかない。
もうこれ以上、ひとりも「殺すな!!」
(MN)
13人の執行命令を出しながら、これは「殺人などということは断じてありえない」という記事も読んだ(「死刑は粛々と執行するのが大切」『週刊朝日』5/2号)。彼にとって、処刑は、殺人を意味しない。この倒錯こそ、「死に神」とよばれるにふさわしい。
彼は、処刑時、刑務官がとざしていた青いカーテンを開けさせた。その理由を問われて、こう説明する。
「『ちゃんと見ろ』ということです」(「週刊朝日」同)
バタンコの落ちたあと、およそ20分といわれる吊された体のふるえ。その下で、誰が、何を見るのか。まだあたたかい体をどうして受け止めるのか。
「斎戒沐浴」した彼がそこにいたとしても、おそらく何も見えない。見えてはならない。
現法相保岡興治が昨日、靖国神社に参拝したという。
「死に神」ということばが思い起こされてならなかった。
戦争は、敵国民を殺すものだ。その手段として、結果として、じつは、自国民をこそ、大量殺戮に陥れながら(ヴェイユが見切ったとおり——)。
「国民」を殺戮に動員しながら、死後もなお忠誠を誓わせ、玉砂利の向こうに永久に鎖につなぐやしろ。魂を魂として放つのではなく。
その死を、「特別な死」とすることで、自他に対する大量殺戮動員の責からのがれ続けているのはだれか?
死刑は、殺人ではない。
戦争に動員し、殺させ、殺されても、それは殺人ではない。
——「殺し」を「殺し」といわせないのが、「死に神」たちの巧まれたやり方だ。
そうやって、どんな「犯罪者」よりも、桁違いに残忍かつ、合法的に「殺し」をしてきた。いまも!
だから私たちはかきけされようが叫ぶほかない。
もうこれ以上、ひとりも「殺すな!!」
(MN)
「殺すな!! 105人デモ」第1弾告知! ― 2008年08月16日 20:43

「殺すな!! 105人デモ」まで、あと2ヶ月を切りました。
ウリの仲間のみなさん、
ぜひ、下記の情報を、サイト・ブログで宣伝してください。
あなたのことばをそえて!
(MN)
死刑廃止!!
殺すな!!
105人デモ
2008年10月12日(日)
集合・南堀江公園
開始・12時30分
出発・14時
主催・かたつむりの会
*南堀江公園は、大阪市営地下鉄千日前線桜川駅下車(5番出口)、徒歩3分。
桜川は、なんばの隣りの駅です。新大阪駅から30分強。
新大阪(地下鉄御堂筋線)→なんば(千日前線)→桜川。
*デモ終了後、17時30分より交流会を行います。
連絡先・かたつむりの会 大阪中央郵便局私書箱1191号
振替 00900‐3‐315753
http://homepage2.nifty.com/katatsumuri/index.html
デモに関する情報は、下記blogにも掲載されます。
おさきまっくろ http://saluton.asablo.jp/blog/
絶対自由をめざす反逆の歴史——韓国アナキズムをふり返る ― 2008年08月19日 12:28

ソウルの仲間から、イ・ホリョンさんの著作が送られてきた。いま、日本語への翻訳作業をいますすめているとのこと。
ざっと内容を理解できる人の弁によると、読みこなすには抗日闘争史に関する知識を要するのでは、とのことで、読者は限られるかもしれませんが、刊行に向けできるかぎり力になりたいと思っています。(MN)
『絶対自由をめざす反逆の歴史——韓国アナキズムをふり返る』
イ・ホリョン著
目次:
1.アナキズムの受け入れ
1‐1 アナキズムの受容と拡散
1−2 社会主義の分化
2.個人の絶対的自由が保障される理想社会を夢見て
2−1 民衆を解放するには帝国主義を打倒せねばならない
2−2 民族主義と共産主義では自由な社会を建設することはできない
2−3 能力に応じて働き、必要に応じて分配を受ける社会を目指して
3.絶対的自由を闘い取るための民族解放運動の展開
3−1 真の民衆解放は民衆の直接行動による社会革命を通じて実現する
3−2 アナキスト社会の建設はアナキズムの宣伝から!
3−3 テロ的直接行動によって民衆を革命の道に!
3−4 経済的直接行動と日常闘争を通じて労働者を革命戦線に!
3−5 革命は根拠地建設から!
3−6 共産主義者を撲滅せよ!
3−7 すべての民族の力をひとつに!
4.自由的民主国家建設への邁進
4−1 アナキズムは無政府主義ではない
4−2 生活革新と政治活動によって自由社会建設の基盤を固めよ
4−3 政党活動によって自由的民主国家を建設せよ
むすび 荒廃した大地から新たな芽が!
著者紹介
イ・ホリョン:ソウル大学校国史学科、ケミョン大学校大学院歴史学科卒業。ソウル大学大学院で博士学位取得。「解放直後の朝鮮労働組合全国評議会の運動路線」、「在日本朝鮮人アナキストたちの組織と活動」、「日帝強占期の在中国韓国人アナキストたちの民族解放運動」、「解放以後のアナキストたちの組織と活動」、「シン・チェホのアナキズム」、「米軍政経済政策の基本性格」、「解放以後のイ・ジョンニュルの民族革命活動とその思想」などの論文、『韓国のアナキズム—思想編』、『韓国現代史講義』(共著)など著書がある。現在、民主化運動記念事業会研究所において韓国民主化運動史の研究、およびそれに関連する業務を担当。
「殺すな!! 105人デモ」第2弾告知! ― 2008年08月20日 16:31

犬山発の第1弾ビラにつづき、第2弾ビラができました。
今度のは東京発。
「もっともらしい関心を装い、
他者を裁き、罰することを
私たちは拒否する!!」
とウラには添えられています。
各地の仲間のみなさん、
自分自身のビラをつくってみませんか?
(MN)
死刑廃止!!
殺すな!!
105人デモ
2008年10月12日(日)
集合・南堀江公園
開始・12時30分
出発・14時
主催・かたつむりの会
*南堀江公園は、大阪市営地下鉄千日前線桜川駅下車(5番出口)、徒歩3分。
桜川は、なんばの隣りの駅です。新大阪駅から30分強。
新大阪(地下鉄御堂筋線)→なんば(千日前線)→桜川。
*デモ終了後、17時30分より交流会を行います。
連絡先・かたつむりの会 大阪中央郵便局私書箱1191号
振替 00900‐3‐315753
http://homepage2.nifty.com/katatsumuri/index.html
デモに関する情報は、下記blogにも掲載されます。
おさきまっくろ http://saluton.asablo.jp/blog/
いまだからこそ考えてみる 戦争と死刑 ― 2008年08月25日 08:34

死刑は必要。
戦争は反対。
そんな声は時どき身近からもきくけれど……。
集会のご案内!(MN)
★
いまだからこそ考えてみる
戦争と死刑
日時 8月31日(日) 14:00〜17:00
講師 池田浩士さん
参加費 500円
場所 エル大阪(地下鉄・京阪 天満橋下車)
http://www.l-osaka.or.jp/pages/access.html
EUをはじめ世界的に死刑廃止の流れの中で、鳩山法相は就任以来13名もの死刑を執行している。秋葉原の事件に象徴されるように、過熱するマスメディアの報道は、事件の実相に迫るどころか、ますます本質から目を逸らす。それを追い風にするかのように、多くの国民は死刑制度を支持し続けている。
来春から裁判員制度が導入されるが、他人事では済まされない。国による暴力が認められているのは「戦争」と「死刑」である。なぜ、国が認める暴力は許されるのか。そんな素朴な疑問から、社会のありようを考えてみたい。
「死刑の[昭和]史」(インパクト出版会)の著作のある池田浩士さんのお話をお聞きします。ご参加よろしくお願いします。
主催 どこまでも9条の会 大阪市中央区内淡路町1-3-11 シティコープ上町402 市民共同オフィスSORA内
105人デモ!! ただいま63人 ― 2008年08月29日 18:03
さすがにちょっと涼しくなってきました。ほっと一息です。
さて、今日は八月二五日。犬山はお盆です。昔このあたりはお蚕さんを飼ってる家が多くて、十五日あたりは一番忙しい時期やったそうな。で、お盆は後回しやったのが、今もつづいてるんです。桑畑なんか今はどこにもみかけないけど、犬山駅を下りるとずっと桑畑がつづいてたって向井さんいってたなあ、と思い出しながら、今朝は五時に起きて、お墓に。
それから、午前中は一時間かけて墨すって、幟端(のぼりばた)の布に大筆で「殺すな」「死刑はやめよう」とふたつ書いたらもう疲れてしもた。あとはあしたにしょ。なにしろ墨をするのが一仕事。腕と指が痛くなった。はじめ墨汁で書いてみたんやけど、散ってしもて字にならんのや。みんなに、幟端を三十本つくるなんていうたけど、とてもとても、そんなことでけんわ。十本がせいぜいやなぁ。それに文句も短いのでないとあかん……。
デモ申請にもいかなあかんし、(一度行ったんやけど、早すぎるから一ヶ月まえにもう一度きてくれいわれて)デモコースの下見にまたいかなあかんし(予定してた公園が借りれんかったから)、他にもまだまだせなあかんことがいっぱい抜けてるような気がして少々あせってきた。あともう四七日……。
先号で「ただ今、四六人」とかいたけど、いま現在六三人になった。でも風の噂で「いくよ」って声があちこち?から聞こえだしたし、知らない人が三人も自分のブログに自分の言葉をそえてデモの案内を載せてくれてるのを発見したし、一〇五人まで、もうひとがんばりや。どんなひとたちが集まってくるか楽しみ。
まだいろいろ書きたいことある気するけど、きょうは墨すりと書き慣れんことしてくたびれてしもた。午後はお客さんやし……。
じゃ、十月十二日に待っています。(風)
*「死刑と人権」No.152(かたつむりの会)より
さて、今日は八月二五日。犬山はお盆です。昔このあたりはお蚕さんを飼ってる家が多くて、十五日あたりは一番忙しい時期やったそうな。で、お盆は後回しやったのが、今もつづいてるんです。桑畑なんか今はどこにもみかけないけど、犬山駅を下りるとずっと桑畑がつづいてたって向井さんいってたなあ、と思い出しながら、今朝は五時に起きて、お墓に。
それから、午前中は一時間かけて墨すって、幟端(のぼりばた)の布に大筆で「殺すな」「死刑はやめよう」とふたつ書いたらもう疲れてしもた。あとはあしたにしょ。なにしろ墨をするのが一仕事。腕と指が痛くなった。はじめ墨汁で書いてみたんやけど、散ってしもて字にならんのや。みんなに、幟端を三十本つくるなんていうたけど、とてもとても、そんなことでけんわ。十本がせいぜいやなぁ。それに文句も短いのでないとあかん……。
デモ申請にもいかなあかんし、(一度行ったんやけど、早すぎるから一ヶ月まえにもう一度きてくれいわれて)デモコースの下見にまたいかなあかんし(予定してた公園が借りれんかったから)、他にもまだまだせなあかんことがいっぱい抜けてるような気がして少々あせってきた。あともう四七日……。
先号で「ただ今、四六人」とかいたけど、いま現在六三人になった。でも風の噂で「いくよ」って声があちこち?から聞こえだしたし、知らない人が三人も自分のブログに自分の言葉をそえてデモの案内を載せてくれてるのを発見したし、一〇五人まで、もうひとがんばりや。どんなひとたちが集まってくるか楽しみ。
まだいろいろ書きたいことある気するけど、きょうは墨すりと書き慣れんことしてくたびれてしもた。午後はお客さんやし……。
じゃ、十月十二日に待っています。(風)
*「死刑と人権」No.152(かたつむりの会)より