発売中! 月刊「むすぶ」451号、特集:今、立ち止まって死刑制度を考えてみませんか。2008年09月02日 21:43


 京都で出ている雑誌・月刊「むすぶ」(ロシナンテ社)の死刑特集号が刊行になりました。
 かつての誌名は月刊「地域闘争」。1970年から、住民運動の全国交流誌として月刊で発行されつづけている雑誌です。
 かたつむりの会から、水田ふう、それから坂口誠也さんの2人が文章を寄せています。水田原稿は、若い友人のひおきまりこさんとの対話形式で、なんと破格の13ページ。坂口さんの原稿も5ページ。B5判の薄身の雑誌の特集にしてはかなりのスペースがさかれていて、読み応えたっぷりです。
 ロシナンテ社のホームページからも注文可。ぜひ、手にとってみてください。(MN)

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月刊むすぶ No.451
特集:今、立ち止まって
   死刑制度を考えてみませんか。

死刑廃止の、その気持ち。〜死刑廃止をどうして言い続けるのか?〜 水田ふう&ひおきまりこ

死刑制度は国家による殺人 亀井静香
死刑廃止について 左藤 恵
死刑制度について 赤瀬川勝彦
暑中お見舞い申し上げます 林 真須美

10・12世界死刑廃止デーにデモを!
「あなたに、105人のひとりになってほしい」 坂口誠也

死刑について思うこと 猪島 克
それでも死刑は必要か 橘 智子
「人を殺してその血を身に負う者は、死ぬまでのがれびとである。だれもこれを助けてはならない」 菅澤邦明
「死刑について」 佐無田義己
死刑は男の暴力 斎藤綾子

ロシナンテ社
http://www9.big.or.jp/~musub/index.html
京都市東山区泉湧寺五葉ノ辻町28
郵便振替 01080-6-42151
840円(悪税込) 送料84円

10.25 辺見庸講演会○…「痛み、あるいは狂気について—“彼”は狂っているか。私たちは正気か(秋葉原事件を念頭に)」2008年09月05日 13:25

辺見庸講演会 第三弾
○…「痛み、あるいは狂気について
—“彼”は狂っているか。私たちは正気か(秋葉原事件を念頭に)」
 
「価値観の底が抜けた時代」「資本という『虚』が、道理や公正、誠意といった『実』をせせら笑い、
泥足で踏みにじっている倒錯的世界」
——辺見庸氏のこうした言葉は、
不条理に満ち満ちていながら敵が見えない今という時代の核心を撃ってくる。
開いてしまったパンドラの箱から飛び出してきた闇が、
世界を、私たちを、浸食しつつある薄気味悪さを痛切に感じながらも
言葉が追いつかないもどかしさ。
なんという変容の時代を私たちは生きているのでしょうか。
そんな時代にあって、思索と想像力の磁場となる辺見庸講演会を、
およそ2年ぶりに大阪の地で開きます。
ぜひ、ご参加ください。

日時 2008年10月25日(土)
   会場18:00 開演18:30
場所 クレオ大阪中央
 地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ケ丘」駅下車。①②番出口から北東へ徒歩3分)
参加費 前売り1,000円 当日1,300円
定員 1,000人(親子室あり)
主催 辺見庸講演会実行委員会
 〒553-0003 大阪市福島区福島6丁目22-17 松本工房内
 http://dokomademo9.verse.jp
 mail : osaka@dokomademo9.verse.jp

*参加お申込み方法
 下記の振込口座にお振込みください。
 郵便振込取扱票の振込金受領証を当日持参ください。入場券と引き換えます。
 振込郵便口座 00950-9-281337
 口座名 辺見庸講演会実行委員会
 (当日は混雑が予想されますので、できるだけ事前にお申し込みをお願いします。

7/5大阪「反G8ぐるぐるアクション」の記録2008年09月09日 10:30

 もう二ヶ月もまえのことになってしまったけど、大阪の若い友人から七月五日、反G8ぐるぐるアクションなるものをやる——というメールがきて、「おもしろそうやな、よっしゃいってみよ」と、わたしも自分のビラを百枚ほどつくって、集合場所の環状線の福島に行ったんや。
 そしたら、なんと、狭い駅構内は制服私服の警官でいっぱいやんか。それに駅員も加わって、五十人〜七十人?くらいもいたやろか。これみんな「ぐるぐるアクション」のためにきてるの?
 警官たちをかきわけて、やっと友人たちをみつける。これほどの取締りの対象になってる仲間たちはといえば、赤ちゃんをベビーカーにのせて、ちっちゃい男の子の手をひいた若いお母さん、それから臨月まじかのお腹をかかえたひと、あと十人もいたかな、みな二十代の若々しいひとたちや。(おとこも三人ほどいたかな)
 はじめ、この日の作戦は、ビラいうのはなかなかとってもらえないから、混んでない時間帯の環状線に乗り込んで、坐ってる、ひとりひとりにビラを渡していく。全車両の乗客に配り終わったら、電車を降りて、またつぎの電車に乗り込んでビラをわたす。電車で坐ってる乗客いうのは、目的地に着くまでは所在無いから、たいがいはビラを受取って読んでくれるんや。環状線はぐるぐるまわってるから、なんぼ乗っても電車賃もかからんし、ビラマキには絶好や——というわけ。
 しかし、この日は、電車に警官隊もいっしょに乗り込んでくるから、電車内でびらまきでもしようものならただちに逮捕?もありうるようなフンイキや。
 で、急きょ作戦をかえることに。電車のあっちとこっちの座席にすわって、大声で掛け合いをしよう。大声でしゃべるのを禁止する法律はないはず——ということで、一時間ほど電車の中を舞台にしての「ぐるぐる行動」とあいなったしだい。
 その様子を記録した動画が、G8 madia network (メディアネットワーク) に掲載されています。(わたしのばばさんぶりがめだちます。)
http://freezone.g8medianetwork.org/?q=ja/node/155
(ふう)

“かたつむりの会”って何? に答えて2008年09月10日 20:40

 四月のはじめごろから、十月十二日に死刑廃止のデモをしよう——いうビラをつくって配りはじめたんやけど、そのデモの主催は“かたつむりの会”いうなまえや。で、その「“かたつむりの会”って何?」という質問が若い人から出てるというので、そりゃあ無理もない、と思ったので、ちょっと説明します。
 “かたつむりの会”は、はじめ「死刑廃止関西連絡センター」という名で一九七九年に発足しました。
 どしゃぶりの雨の夜やった。桜ノ宮公会堂の古びた大ホールで、映画「真昼の暗黒」と日弁連会長の和島岩吉弁護士の講演があった。七〇人ぐらいは来てたかな。
 「死刑廃止が市民運動として取組まれるのは、大阪でのこの運動が初めてのこと……」という和島弁護士の話に「ヘェー、いままでなかったんや」とびっくりしたのをよくおぼえてる。法律の専門家とか、宗教者ではなくて、運動として初めて、ということなんや。
 わたしは、その前年から獄中に図書を差し入れる「たんぽぽ図書館」いうのを、おんなばっかり七人で始めていて、それで獄中の政治犯・刑事犯を問わずいろんな人たちと知り合うことになったんやけど、「死刑廃止関西連絡センター」の呼びかけや賛同人をあつめて、結成まで持ち込んだのは、“たんぽぽ”で知りあった党派(たった数人?しかいなかったな)の人たちやった。
 ざっくばらんに言えば、「運動」なんてキライやいうようなおんなばかりの“たんぽぽ”にも声がかかったのは、もっぱら市民運動としての体裁をとりたかったからやろな。八〇年二月の「現代と大逆事件——死刑と天皇制を問う」というセンター主催の集会には二百人ほども集まった。でも元気があったのはその一回きり。定例学習会にもわたしは毎回参加してたんやけど、三、四回?目やったかな、待てどくらせど主催者がこず、新聞の案内をみてきた木下達雄さんとわたしと二人だけやった。しょうがないから二人で自己紹介などしあって……というようないきさつがあって、党派のひとはそのあとも何の説明もしないままいなくなって(何があったんやろ)、木下さんが後を引き継ぐかたちで(今は坂口誠也さんが)、まあほんまに、そのときどき、せいぜい三、四人で今日まできてしまった、ということなんや。
 そこで、八六年だったか、身の丈にあった名前にしようと、別名「かたつむりの会」としたんやった。
 でもねえ、八九年のことや。池田浩士さんの講演を、吉本の漫才台本作家のかわら長介さんの演出で、全く芝居じたてにしたバラエティ「絞められて殺されて」はおもしろかったんやで。これは新聞やテレビに大きく取り上げられるし、当日は一〇五席の会場に四百人もつめかけてえらいことやった。更に、九一年は、やっぱり長介さんと組んでの大イベント「寒中死刑大会」には七〇〇人を集めた。
 そして、九二年から一年間をかけての「かたつむり連続講座」は、「殺すこと 殺されること」「死刑の文化を問いなおす」(インパクト出版会)の二冊の本になった。それから死刑執行が後藤田法相によって再開されて、拘置所・官舎への夜回り行動……
 しかし、これらはみんなそのときどきの助っ人に支えられてのこと。そして、九三年に私は犬山に引越してしまったから、坂口くん一人で「死刑と人権」の編集・発行。その印刷・帳合い作業・郵便の受け取り・会計をひとりでやってくれてるOくんもおるし、発送作業にはKさんYさんRさんらが助っ人に来てくれて……。
 それから坂口くんは、死刑執行があると、かならず大阪拘置所に一人でも抗議にいくんやけど、そのときもKさんやRさんやHさんやらがかけつけてくる。そういうひとたちの存在があって、“かたつむりの会”は、三十年(に一年足りない年月)つづいてきたんやった。
 そして、九一年、安田好弘弁護士を中心とした“死刑廃止フォーラム・東京”が誕生。それにつづいて大阪でもアムネスティのひとたちといっしょになっての“死刑廃止フォーラム in おおさか”が生まれた。その時から、坂口くんたちはフォーラムのメンバーといっしょに活動している。
 それにしても、いまでは“かたつむり”唯一の存在証明「死刑と人権」(隔月刊)は、原稿はだまっていても毎号二九頁にもなる部厚さというんやからすごいもんや。発送は獄中・獄外合わせて四百ほど。もちろんいささか長い年月やから、その間死刑囚との手紙のやりとりや面会のほか、風船もって街に出かけてビラまいたり、宣伝カーをしたてて街を走ったり、公開講座や、またある日曜日、天王寺公園の松の木に縄をかけてそれに吊るされる死刑囚のパフォーマンスで署名集めをしたり……もやったけど、要は、もうこの圧倒的な死刑肯定の「世論」の中では、看板をあげ続けるだけでも意味があるんや——と開き直って、ひたすら隔月間のニュース「死刑と人権」の発行だけは守り続けて(現在一五一号)、ともかく消えずに存在してきた。
 で、こんどの「世界死刑廃止デーにデーをしよう」——という、“かたつむり”単独の呼びかけは、ほんとにひさびさのことなんです。
 一〇五人まであと四二人!
 よろしくおたのもうします。
水田ふう

きのうは異常2008年09月12日 23:33

 きのうは異常やった。
 いや、異常でないのが異常やった。
 大阪拘置所に着いたのが六時半。まだ誰もきてない。正門の内側に四人ほど刑務官が立っているのがみえる。
 わたしは、デモ用につくったノボリ旗の一つ「死刑は人殺しです」を取り出して、正門にむかってつきだした。
 しばらく黙ってそうして立ってたんやけど、なんやいつもと様子がちがう。いつもやと死刑執行があったことを、なんとなく憚るような、隠すような、うしろめたいような、ひっそりした気配があった(と、勝手にそう思ってた)。
 ところがきのうは違った。正門横の出入り口から柔道着を着たこどもたち、その子どもたちといっしょの若いお母さんたち、仕事を終えた、ラフな服に着替えた刑務官らしい若者が、二、三人つれだって談笑しながら三々五々出てくる……。
 たぶん、これが大阪拘置所正門出入り口の、夕方の、いつもの風景なんやろ。なにごともないいつもどおりのなごやかさ。
 いままで一度だって、死刑があった日、業者の車の出入りは多少あっても、正門横からこんなふうに人が出てくるのを見たことがない……。
 一しゅん、「死刑は人殺しです」という旗に気付いたおかあさんが、気色ばんで「子どものまえでそんなことをしないでください」とつめよってきた。
 わたしは、「子どもにも、今日ここで起こったことをちゃんと説明してあげてください」というしかない。

 この日、ここ大阪拘置所で、万谷義幸さん(68歳)と山本峰照さん(68歳)が殺されたんや。(東京拘置所では平野勇さん(61歳)が。)
 死刑という人殺しは、その犯罪性を誰からも問われない。
 その責任性を誰からも問われない。
 公認公然の人殺し……。
 これほどの極めつけの犯罪があるやろか。
 人が二人も、今日、ここで、殺されたというのに、全く何事もなかったかのようなふだんどおりの夕方。
 そうなんや、この職場では死刑が日常化してしまったんや。
 年に一度くらいのときは、執行命令書が届いたら、所内の空気は緊張で一変したことやろ。刑務官も誰がボタンを押すことになるのかとキリキリしたにちがいない。それが鳩山の執行のベルトコンベヤー方式で、二ヶ月に一度の頻繁さ。保岡興治法相もそれを引き継いでいくことをはっきりしめした。

 拘置所は、いつ命令書がきてもあわてることのないように、死刑が日常業務として組み込まれ……人殺しに慣れて……非日常が日常化してしまった……のか。門の内側でニヤニヤしてる刑務官がいたんやった。
 三〇分くらいして、坂口くん、HさんKさんがくる。
 マイクを渡されて、わたしはつい問い詰める調子で言いつのってしまった。
 人殺しはねえ、自分が人殺しだっていう自覚をもってるんや。
 そして人殺しは悪いいうことも人殺しは知ってるんや。
 あんたらは今日人を殺したという自覚はないんか?
 死刑は人殺しの中でも一番悪質な人殺しやろ。
 誰でもいいから殺さなあかんいうて人殺しをするのは、法務大臣の方やろ。
 あんたらやろ……
 と。
 ああーああー。(ふう)

死刑と戦争をつなげて考えてみる 映画を見ながら裁判員制度を考える2008年09月15日 12:05

日時 9月21日(日)14時~17時
   14時からDVDで『裁判員』を鑑賞(約70分) 
   その後、フリートーク  
会場 きらくやまふれあいの丘・世代ふれあいの館
   会議室1(茨城県つくばみらい市神生)
   *JR佐貫駅ないしつくばエクスプレスみらい平駅よりタクシー
参加費 無料
主催 死刑と戦争をつなげて考える・つくばみらい
   090-1794-2437(加藤)

来年五月から裁判員制度が始まる。
司法への国民参加なんだという。刑事裁判が多くの人に開かれ、今よりましな裁判になると期待している人もいる。つまり今の裁判はそれだけひどいということだ。起訴後の有罪率が九十九パーセントという数字には、裁判所は検察の言いなりなのか?という気にもなる。
でも、何故刑の重い刑事事件だけへの参加なんだろう。国民参加というけれど参加は半ば強制で、参加を拒否すれば罰則まであるという。裁判の内容も他人に話せば罰則がある。
そして有罪を選べばその中には死刑が含まれている。人の生き死にを決める制度への強制的な参加!もしかして法務大臣や刑務管、検事といった職業にだけではなく、に国民全体に死刑にかかわる機会を拡げたいのか、と勘ぐってしまいたくもなる。
最高裁が裁判員制度を広報する映画を作っている。見てみようか。
最高裁は〇六年から年に一本ずつ裁判員制度を広報するための劇映画をつくっている。他にもアニメなど何本もあって、これらは最寄の裁判所や公立図書館、市役所に行けば無料で見たり借りたりできる。それどころか上映会の類が公認されている。
さあ、みんなでプロパガンタの研究をしよう!

       ★

裁判員広報用映画
『裁判員 選ばれ、そして見えてきたもの』
企画・製作:最高裁判所
協力:法務省 日本弁護士連合会
脚本:ちゃき克彰/監督:梶間俊一/出演:村上弘明 床島佳子 前田愛 泉政行 長門裕之 河原崎建三 山口果林

南沢袈裟松さんの記事2008年09月15日 18:20

今日は名古屋の大杉栄・伊藤野枝・橘宗一ら墓前祭の日でしたが、敬老の日ということにちなんでか? こんな記事が朝日.comに掲載されています。早々に消えてしまうと思うので、戦前の農村青年社運動に関心のある方はぜひ読めるうちに。(MN)
   *
アナーキスト、投獄、反核…103歳の父を本に 長野
http://www.asahi.com/national/update/0915/TKY200809150055.html

死刑廃止!! 殺すな!! 105人デモ 第4弾ビラ2008年09月22日 19:42


デモまであと二十日。
第3,4弾ビラができました。
今度は大阪発です。

 ★

死刑廃止!!
殺すな!!
105人デモ
2008年10月12日(日)
 集合・南堀江公園
 開始・12時30分
 出発・14時
 主催・かたつむりの会
*南堀江公園は、大阪市営地下鉄千日前線桜川駅下車(5番出口)、徒歩3分。
 桜川は、なんばの隣りの駅です。新大阪駅から30分強。
 新大阪(地下鉄御堂筋線)→なんば(千日前線)→桜川。
*デモ終了後、17時30分より交流会を行います。

連絡先・かたつむりの会 大阪中央郵便局私書箱1191号
    振替 00900‐3‐315753
    http://homepage2.nifty.com/katatsumuri/index.html
    デモに関する情報は、下記blogにも掲載されます。
    おさきまっくろ http://saluton.asablo.jp/blog/

デモ申日記2008年09月27日 21:06


 やっと「死刑廃止!! 殺すな!! 105人デモ」のデモ申請が済んだ。書きはじめたらなごなったけど、顛末を忘れないうちに。

七月三十日(水)
 「デモ申請」をするには集合場所にする公園使用の許可がいる。出発はアメリカ村に近い堀江公園がええやろ、とおもって、私はさっそく管轄の公園事務所に出向いたわけや。
 ところが、アカンという。なんでやねん。地区の住民がイベントやデモは近所迷惑で許可できんという。公園が借りれんかったらデモでけへんやないの。デモの自由が憲法にかいてあるんやから、デモが誰でも気安くできるように条件を整えておくいうのが、公園課の仕事やないの。
 町内会長さんにこっちから出むいて交渉するから住所教えていうて、掛け合うこと小一時間。水を一杯もらって、死刑についてもいろいろ話す。ここの公務員さんは、ヨーロッパEU諸国には死刑はないし、いまじゃ、世界全体では「死刑のある国の方が少ない」んやいうことを知らんかった。最初はアカン一点張りやったけど、だんだん興味をもって聞いてくれて? ひとしきり演説や。「じゃ、いっぺん自治会長さんにこちらから話してみる」というので、お願いして帰る。

八月四日(月)
 坂やんと近鉄難波からアメリカ村~堀江公園~解散地点あたりを時間を計りながら歩いてみたら、全部で三十分もかからんかった。このコースだとえらい短いデモになるなあ、と思いながら再び公園事務所に。連絡がくるのをじっと待ってられへん。案の定まだ町内会長とは連絡をとってない由。
 これ以上待ってもいつのことになるかもわからんし、なにしろ、この出発地点が確定せんかったら、ビラがつくられへん。ちょっと遠くなってもいいと思って、南堀江公園を借りることにした。これはすぐ貸すというんや。一週間後やないと許可書は出ないけど、すでに許可は出ていると警察に電話してくれるという。その足で大阪府警に。
 まあ、なんちゅうでっかい建物や。向うに見える大阪城より大きいくらいやんか。正面をはいるとウワーひろーい。天井もグーッと高くて、つきあたり壁面全体がガラスで中庭の緑の木々がみえる。まるでホテルのロビーのようなかんじ。クーラーがガンガンに効いてて、汗でぐっしょりになってたシャツがいっぺんに冷えて風邪ひきそうや。なにがCO2削減に努めましょうや。こんな建物ばっかり建てるから石油を食うんやないか。
 ロビーの両脇に並んでる「応接室」の一つに通される。これが「応接室」? 中は冷房が効いてて寒いくらいやけど、狭いし窓ひとつないし、まるで取調室みたい。
 「デモの申請をしたいので用紙をください」というのに、「そのまえにお話をきかせてください」いうて、まっさきにデモコースにあれこれ注文をつけてくる。アメリカ村はやめてくれ、いうんや。
 「わたしらはデモコースの相談にきたんやないの。コースはもうこちらで決めてるんやから、あんたらはそれを受理したらそれですむやんか」いうても、なんとか「説得」しようとがんばりはる。
 「何千人もデモに集まるいうんなら、そんな大通りをデモしてもええけど、わたしらみたいな百人くるかこんかのような少人数のデモで、そんな車ばっかりのとこ、いっこもおもろないやないの。あかんあかん。こっちはもう決めてるんやから……」
 と、なんだかんだで二時間ちかくもあれこれ話しを聞かせられて、あげく、十月までにはまだ早い。道路の状況も一ヶ月まえにならないとはっきりせんから、今日は申請書は受取れんという。しかし、一ヶ月前でないと受理できんいう法律はないはずや。こちとら愛知県の犬山から汽車賃大枚つこてきてるんや。近鉄でも往復八千円ちかい出費。新幹線に乗ろうもんなら、往復で一万二千円以上かかる。そうなんべんも大阪までいかれへんのや。無駄足にするんなら、交通費出してほしいわ。まったく!

九月一日(月)
 前日、「どこまでも九条の会」で、池田浩士さんの「死刑と戦争」の学習会があったので大阪に。
 朝、一月前にはまだ早いけど、大阪にきてるので、いまから出向くと大阪府警に電話する。
 「今日きてもらっても申請書をうけとれない。まだ道路状況がはっきりしないから」
 という。そしてまたコースを見直すようにくどくどいってくる。ラチがあかん。ほんなら、十八日にはどうしても行きますからいうて、電話をきる。
 
九月十六日(火)
 犬山のわが家に、大阪府警の山本さんから電話や。
 「アメリカ村はアカンていうてはったけど、アメリカ村を通ったデモがあったやないの」
 「アカンとはいうてません。お願いしてますんや。日曜日を返上して、デモ出発と同じ時刻、南堀江公園からアメリカ村をとおって御堂筋を歩いてみました。ほんとにここは道が狭いし、人が混み合ってるし、そんなところを歩いて市民のみなさんのひんしゅくをかったらよくないでしょう」
 「ひんしゅくいうんやったら、デモのそばにおまわりさんがついてるいうことが、ひんしゅくやんか。警察の存在自体がひんしゅくや。
 でも、警察にもりっぱなひとがおるんやなあ。現職のおまわりさんで警察の裏金を訴えて勝訴した、仙波敏郎さんのこと知ってるやろ?」
 仙波さんは二十三歳で巡査部長の試験に合格するほど優秀やったけど、裏金の領収書にハンコをつくのを断ったばっかりに、その後三十年以上も巡査部長のままで冷遇された。でも、奥さんがガンで亡くなって、もう心配かけるひともいないからいうて、警察の裏金問題を訴えたひとや。もちろん警察ではずっといじめにおうてたらしい。
 「事務の仕事してても旅費やなんやいう名目で闇給与もろてるひとがおるんやから、そりゃあうっとうしがられるやろ。それでも仙波さんは辞めんと頑張らはってすごいなあ……
 なあ山本さん、死刑廃止なんて人気ないねん。死刑廃止いうだけでひんしゅくや。死刑廃止がみんなに歓迎されてるんならデモなんかせえへん。死刑廃止は圧倒的な少数派や。そやからデモするんやないの。日頃はみんなひとりぼっちや。一年準備して百人集まるかどうかの小さいデモや。大きな車道路で百人くらいでデモしたら、よけいにしょぼんとなるやんか。道行くひとにマイクがなくても声がとどくような小さい道でないとあかんねん」
 とにかくあさって行くんやから……電話代も税金やで、といっておしまいにする。時計みたら二時間もや。

九月十八日(木)
 前日はSORAで「死刑と人権」の発送。Sやん、Kさん、Gさん、Sさん、Fくん、Tちゃん。いつもの倍の人手で、八時半には作業終了。で近くで一杯やりながらデモの相談。
 デモは流れ解散の予定やってんけど、遠くからくるひとたちもいるのに、そのまま道路上で警官に追い立てられて別れ別れいうのもなんやし、終点近くの元町中公園もかりることにする。元町中公園の管轄事務所は天王寺公園内にある。二時に府警に行く約束やからまだ充分時間がある(はずやった)。
 もうふた昔も前、阿倍野に住んでたころ、天王寺公園はサルートンからすぐ近所で、のんびりした、ほんまにええ公園やった。日曜日、ゴザをしいて反戦露店市をやったり、お客がくるとうちの庭やからいうて散歩に誘ったり……それがいまじゃ、地面はコンクリートで覆われ、公園全体はぐるりと高い柵で囲われ、入園料を払わんと中にはいれなくなった。なんというグロテスク。そうやって公園に住んでた人たちを追い出してしまったんや。
 ちょうどお昼時とかさなって、応対に出てきた職員の機嫌の悪いこと。公園は他と重ならんかったら借りられるけど、公園の「行為・占用許可申請書」に元町中公園愛護会々長のハンコをもらってこい、という。ははーん。誰の陰謀か、そういう手続きをかってにつくって、「慣習」にしてるんや。それで堀江公園は、あらかじめハンコをつかんと通知してるんやな。
 ここで言い合ってもしょうがない。しかし、あんた公務中やろ、機嫌の悪いのやめてんか。あんな遠くの公衆電話まで行けなんてせっしょうやで。十円だすから事務所の電話かしてんか言うたら、自分のケイタイ貸してくれた。会長さんに電話すると自宅にいく道筋をくわしく教えてくれた。大国町で乗り換え、四つ橋線の難波まで。そこから歩いて十分ほど。
 「そやけど、ほとほと、デモ一つするのに、こんなに手間がかかってめんどくさいとはねえ。コース一つに文句つけられ、ハンコまでもらいにいかなあかんねんから……やるなというてるようなもんやんか」
 ぶつぶつ独り言をいいながら、会長さんの家をやっとみつけてハンコをもらう。会長さんは塗装屋さんで、ええかんじのひとやった。どんなデモしはるの、いうから死刑の話をすると、いろんな質問してきはって、小一時間も話し込んでしもた。裁判員制度の話もして、「いやですなあ」というてはった。
 約束の二時はとっくに過ぎて、府警に着いたのはもう四時前やった。山本さんと河野さんのコンビで、またまたくどくどとコースの「指導」。
 「あんたらなあ、警察はわたしらのデモ申請書を受付けてそれを公安委員会にもっていくだけの役目なんやで。それをどおせえ、こおせえいう権限はあんたらにはないの。なんぼいわれても変更するつもりはないんやから。
 このデモに関する条例をちょっとよんでみ。第六条や。この条例のいかなる部分も、行進・集会を行う権利を、いかなる方法においても、禁止又は制限するものと解釈してはならない、とかいてあるやろ……」
*行進及び集団示威運動に関する条例
http://www.city.sakai.osaka.jp/reiki/reiki_honbun/as00006391.html
 河野さんには、同じ名前の河野義行さんが松本サリン事件で警察にいかに酷いことをされたかを話す。警察が謝罪したのは、その八年後、河野義行さんが公安委員になったから仕方なしにや。
 警察の河野さんはその時は黙ってはったけど、しかし、いっこうにデモの「申請」はさせてくれへん。だんだんわたしの方がくたびれてきた。
 それにアメリカ村をでた御堂筋で、そごう・大丸の側がにぎやかいと山本さんはいうんやけど、自分の目でたしかめるまでは信用ならん……ちょっと今日は帰るわ。もういっぺん自分でコース歩いてみて、またくるわ言うて、席をたつ。
 公園事務所は五時半までと言うとったから、急いでまた天王寺公園まで小走り。

九月二十一日(日)
 SORAでデモの相談会やから、その前にデモコースを歩いてみる。中島くんが時計と地図をもって。
 ビラの案内にあるように新大阪駅から地下鉄にのって千日前線桜川駅下車。公園まで徒歩三分とかいてあるけど、七分~十分は歩いた感じ。三方向から丸見えの小さな公園。ここからアメリカ村までけっこうある。人通りは少なくて、パーマ屋さんやったか、ダイバーズショップやったか、店の前でタバコを吸ってる若者に話しかける。人出はいつもこのくらいやという。
 アメリカ村に入ると、さすがに若者たちの街らしい。遅い時間になったら人がもっとふえるやろ。わたしらの予定ではアメリカ村をぐるりとふた回りして、それから御堂筋に出て難波~高島屋~解散地点までを歩く予定やったけど、御堂筋は山本さんがいうたように、そごう・大丸の側の道筋のほうが人通りがあった。そして、坂やんと歩いた時は、全部歩いても三十分で終ってしまいそうやったのに、ふつうに歩いて一時間かかった。暑かったせいもあって、かなりくたびれたなあ。
 終点の公園まではもうしんどくて行ってないから、公園までやと一時間半はみとかなあかんな。年寄り組みは大丈夫かしらん。アメリカ村はふた回りはやめてひと回りにしようかな。山本さんと難航しそうやし……

九月二十二日(月)
 よし、大幅譲歩してアメリカ村を一回りにしたし、山本さんがいうようにそごう・大丸のほうを歩くんやから、今日はもう何ももめることはないやろ。さっさと済ませてはよ帰えろ。猫が待ってるんや。
 「集団示威運動等許可申請書」いうんやけど、目的・実施日時・場所・行進経路・主催者住所・氏名・参加団体・参加予定人員・現場責任者(総指揮者・副指揮者)、そして、別紙に行進経路略図を書き込む。略図は山本さんがあらかじめ書いてくれたのを、それを見ながら書き写すというわけ。(これがけっこうめんどくさい)
 ところが、また問題発生や。出発十四時、解散十五時三十分をどうしてもみとめようとせえへん。「お願い」がスタートや。
 「このコースのこの距離では、デモの歩き方で計算したら五五分。一時間半はおおすぎる」とどうしてもゆずらへん。
 「自分の足でさっさと歩いて、一時間かかったんや。デモやったら老人もいるし、子どももいるし、一時間半はみとかな指揮者として責任がとれん。とにかくこれで公安委員会に出してよ。許可がおりんかったら、審査請求でも訴訟でもおこすから、とにかくこれで出して」昨日の相談会でも、車いすが必要になりそうなひとがくるから、どこかで借りなあかんいう話をしたばかりや。もうわたしも動かへん。
 しぶしぶその数字を書き入れさしたんやけど、山本さんは「とうとうあなたとは人間関係がつくれませんでしたね」いうて苦しそうに顔をゆがませるんや。
 そしてこんどは河野さんが説得を始める。
 「せめて十五時二十分。じゃ、中をとって十五分」
 「あんたねえ。商売の値引き交渉してるんやないんやから」
 「こっちの顔もたててくださいよ」
 コースも変えたし顔は十分たってるはずやけど、まだ足らんかいな。わたしはもう知らんぷりして返事もしない。
 「さあハンコつくから申請書かして」いうと、朱肉をうしろにかくしてハンコをおさせへんのや! もうまったく。
 「デモがいくら時間内でも、故意にゆっくり歩いたら警告だしますからね。これは言っときますからね」と、山本さんの捨てゼリフ。実に実に悔しそうやった。きっと上役に怒られるんやろうな。おまえの指導はなっとらんいうて――。
 これだけのことで、十時から一時まで。警告何回か出たら逮捕らしいわ、あなおそろし。
 さあ、十月十二日まであと十四日!
 「死刑廃止!! 殺すな!! 105人デモ」は、ただいま九十一人や!(ふう)