「黒」刊行同人からのあいさつ2011年04月19日 08:18

みなさま、
長らく品切れにしていた向井孝『暴力論ノート──非暴力直接行動とは何か』を、増補のうえ刊行することにしました。
《黒LaNigreco》パンフシリーズ『暴力論ノート──非暴力直接行動とは何か』は──前書きに「2002年の遺言」とある通り、向井孝が亡くなる前年に刊行されました。
9.11を契機として、まつろわぬ民に「反テロ戦争」という殺りく宣言をした戦争国家群。アフガン、イラク爆撃と日本の加担に対する異議申し立ての運動の波間で、本書は千人の読者を得ることになりました。
運動局面が緊迫するとかならず、暴力・非暴力がさながら善悪の問題のように議論されますが、それとは別個の視点を提起し得たのではないかと思います。
そして、9.11から10年となる今年──3.11、東北・関東大震災が起きました。死者行方不明者2万8千、その津波被害のとほうもなさ、原発事故による放射能汚染の容赦のなさについて、ここで繰り返すまでもありません。
M9の巨大な地震は、人びとを裸足のまま、地面の上に放り出しました。しかし、誰が云い出すまでもなく動き出す、人びとの相互扶助、自治のちからをも、くっきりと浮かび上がらせました。それは、ふだんは目に入ってこないけれども、平穏さとともに既に私たちの手の中にあった、積極的な日常のちからなのです。
一方で、地震の衝撃は、私たちの平穏さをあたかも担保しているかのようにふるまっていた、社会制度の化けの皮をも引き剥がしたと云えるでしょう。瓦礫の上には、私たちの日常を覆い、まるで一体のもののように擬態していた抜け殻が横たわっています。それこそ向井孝が名づけた「擬似非暴力体制」そのものではないでしょうか?
そしてそれが、どれだけ根底的に、私たちと敵対するものであったか! 原発事故をめぐる政府、電力会社、原子力産業関連団体の「対応」を見れば、もはや説明は不要です。その抜け殻の中から、針とびするレコードのように、「日本人の美徳」「遵法精神」、「英雄」「侍」という声がくりかえし漏れてきています。

「復興」という名のもと、いままた、私たちの日常に覆いかぶさろうとしている、「擬似非暴力体制」を拒否しながら、私たちには、私たちしか持つことのできない、積極的な日常のちから、生き方、くらし方、闘い方、即ち「非暴力直接行動」をかかげる以外に、どのような途があるでしょうか。
被災者支援、反原発行動、震災後弾圧への対抗……「復興」を拒絶し、3.11以後を生きる仲間とともに、本書を共有したいと思います。
中島雅一
2011.4.16

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