南沢袈裟松さんの記事2008年09月15日 18:20

今日は名古屋の大杉栄・伊藤野枝・橘宗一ら墓前祭の日でしたが、敬老の日ということにちなんでか? こんな記事が朝日.comに掲載されています。早々に消えてしまうと思うので、戦前の農村青年社運動に関心のある方はぜひ読めるうちに。(MN)
   *
アナーキスト、投獄、反核…103歳の父を本に 長野
http://www.asahi.com/national/update/0915/TKY200809150055.html

死刑と戦争をつなげて考えてみる 映画を見ながら裁判員制度を考える2008年09月15日 12:05

日時 9月21日(日)14時~17時
   14時からDVDで『裁判員』を鑑賞(約70分) 
   その後、フリートーク  
会場 きらくやまふれあいの丘・世代ふれあいの館
   会議室1(茨城県つくばみらい市神生)
   *JR佐貫駅ないしつくばエクスプレスみらい平駅よりタクシー
参加費 無料
主催 死刑と戦争をつなげて考える・つくばみらい
   090-1794-2437(加藤)

来年五月から裁判員制度が始まる。
司法への国民参加なんだという。刑事裁判が多くの人に開かれ、今よりましな裁判になると期待している人もいる。つまり今の裁判はそれだけひどいということだ。起訴後の有罪率が九十九パーセントという数字には、裁判所は検察の言いなりなのか?という気にもなる。
でも、何故刑の重い刑事事件だけへの参加なんだろう。国民参加というけれど参加は半ば強制で、参加を拒否すれば罰則まであるという。裁判の内容も他人に話せば罰則がある。
そして有罪を選べばその中には死刑が含まれている。人の生き死にを決める制度への強制的な参加!もしかして法務大臣や刑務管、検事といった職業にだけではなく、に国民全体に死刑にかかわる機会を拡げたいのか、と勘ぐってしまいたくもなる。
最高裁が裁判員制度を広報する映画を作っている。見てみようか。
最高裁は〇六年から年に一本ずつ裁判員制度を広報するための劇映画をつくっている。他にもアニメなど何本もあって、これらは最寄の裁判所や公立図書館、市役所に行けば無料で見たり借りたりできる。それどころか上映会の類が公認されている。
さあ、みんなでプロパガンタの研究をしよう!

       ★

裁判員広報用映画
『裁判員 選ばれ、そして見えてきたもの』
企画・製作:最高裁判所
協力:法務省 日本弁護士連合会
脚本:ちゃき克彰/監督:梶間俊一/出演:村上弘明 床島佳子 前田愛 泉政行 長門裕之 河原崎建三 山口果林

きのうは異常2008年09月12日 23:33

 きのうは異常やった。
 いや、異常でないのが異常やった。
 大阪拘置所に着いたのが六時半。まだ誰もきてない。正門の内側に四人ほど刑務官が立っているのがみえる。
 わたしは、デモ用につくったノボリ旗の一つ「死刑は人殺しです」を取り出して、正門にむかってつきだした。
 しばらく黙ってそうして立ってたんやけど、なんやいつもと様子がちがう。いつもやと死刑執行があったことを、なんとなく憚るような、隠すような、うしろめたいような、ひっそりした気配があった(と、勝手にそう思ってた)。
 ところがきのうは違った。正門横の出入り口から柔道着を着たこどもたち、その子どもたちといっしょの若いお母さんたち、仕事を終えた、ラフな服に着替えた刑務官らしい若者が、二、三人つれだって談笑しながら三々五々出てくる……。
 たぶん、これが大阪拘置所正門出入り口の、夕方の、いつもの風景なんやろ。なにごともないいつもどおりのなごやかさ。
 いままで一度だって、死刑があった日、業者の車の出入りは多少あっても、正門横からこんなふうに人が出てくるのを見たことがない……。
 一しゅん、「死刑は人殺しです」という旗に気付いたおかあさんが、気色ばんで「子どものまえでそんなことをしないでください」とつめよってきた。
 わたしは、「子どもにも、今日ここで起こったことをちゃんと説明してあげてください」というしかない。

 この日、ここ大阪拘置所で、万谷義幸さん(68歳)と山本峰照さん(68歳)が殺されたんや。(東京拘置所では平野勇さん(61歳)が。)
 死刑という人殺しは、その犯罪性を誰からも問われない。
 その責任性を誰からも問われない。
 公認公然の人殺し……。
 これほどの極めつけの犯罪があるやろか。
 人が二人も、今日、ここで、殺されたというのに、全く何事もなかったかのようなふだんどおりの夕方。
 そうなんや、この職場では死刑が日常化してしまったんや。
 年に一度くらいのときは、執行命令書が届いたら、所内の空気は緊張で一変したことやろ。刑務官も誰がボタンを押すことになるのかとキリキリしたにちがいない。それが鳩山の執行のベルトコンベヤー方式で、二ヶ月に一度の頻繁さ。保岡興治法相もそれを引き継いでいくことをはっきりしめした。

 拘置所は、いつ命令書がきてもあわてることのないように、死刑が日常業務として組み込まれ……人殺しに慣れて……非日常が日常化してしまった……のか。門の内側でニヤニヤしてる刑務官がいたんやった。
 三〇分くらいして、坂口くん、HさんKさんがくる。
 マイクを渡されて、わたしはつい問い詰める調子で言いつのってしまった。
 人殺しはねえ、自分が人殺しだっていう自覚をもってるんや。
 そして人殺しは悪いいうことも人殺しは知ってるんや。
 あんたらは今日人を殺したという自覚はないんか?
 死刑は人殺しの中でも一番悪質な人殺しやろ。
 誰でもいいから殺さなあかんいうて人殺しをするのは、法務大臣の方やろ。
 あんたらやろ……
 と。
 ああーああー。(ふう)

“かたつむりの会”って何? に答えて2008年09月10日 20:40

 四月のはじめごろから、十月十二日に死刑廃止のデモをしよう——いうビラをつくって配りはじめたんやけど、そのデモの主催は“かたつむりの会”いうなまえや。で、その「“かたつむりの会”って何?」という質問が若い人から出てるというので、そりゃあ無理もない、と思ったので、ちょっと説明します。
 “かたつむりの会”は、はじめ「死刑廃止関西連絡センター」という名で一九七九年に発足しました。
 どしゃぶりの雨の夜やった。桜ノ宮公会堂の古びた大ホールで、映画「真昼の暗黒」と日弁連会長の和島岩吉弁護士の講演があった。七〇人ぐらいは来てたかな。
 「死刑廃止が市民運動として取組まれるのは、大阪でのこの運動が初めてのこと……」という和島弁護士の話に「ヘェー、いままでなかったんや」とびっくりしたのをよくおぼえてる。法律の専門家とか、宗教者ではなくて、運動として初めて、ということなんや。
 わたしは、その前年から獄中に図書を差し入れる「たんぽぽ図書館」いうのを、おんなばっかり七人で始めていて、それで獄中の政治犯・刑事犯を問わずいろんな人たちと知り合うことになったんやけど、「死刑廃止関西連絡センター」の呼びかけや賛同人をあつめて、結成まで持ち込んだのは、“たんぽぽ”で知りあった党派(たった数人?しかいなかったな)の人たちやった。
 ざっくばらんに言えば、「運動」なんてキライやいうようなおんなばかりの“たんぽぽ”にも声がかかったのは、もっぱら市民運動としての体裁をとりたかったからやろな。八〇年二月の「現代と大逆事件——死刑と天皇制を問う」というセンター主催の集会には二百人ほども集まった。でも元気があったのはその一回きり。定例学習会にもわたしは毎回参加してたんやけど、三、四回?目やったかな、待てどくらせど主催者がこず、新聞の案内をみてきた木下達雄さんとわたしと二人だけやった。しょうがないから二人で自己紹介などしあって……というようないきさつがあって、党派のひとはそのあとも何の説明もしないままいなくなって(何があったんやろ)、木下さんが後を引き継ぐかたちで(今は坂口誠也さんが)、まあほんまに、そのときどき、せいぜい三、四人で今日まできてしまった、ということなんや。
 そこで、八六年だったか、身の丈にあった名前にしようと、別名「かたつむりの会」としたんやった。
 でもねえ、八九年のことや。池田浩士さんの講演を、吉本の漫才台本作家のかわら長介さんの演出で、全く芝居じたてにしたバラエティ「絞められて殺されて」はおもしろかったんやで。これは新聞やテレビに大きく取り上げられるし、当日は一〇五席の会場に四百人もつめかけてえらいことやった。更に、九一年は、やっぱり長介さんと組んでの大イベント「寒中死刑大会」には七〇〇人を集めた。
 そして、九二年から一年間をかけての「かたつむり連続講座」は、「殺すこと 殺されること」「死刑の文化を問いなおす」(インパクト出版会)の二冊の本になった。それから死刑執行が後藤田法相によって再開されて、拘置所・官舎への夜回り行動……
 しかし、これらはみんなそのときどきの助っ人に支えられてのこと。そして、九三年に私は犬山に引越してしまったから、坂口くん一人で「死刑と人権」の編集・発行。その印刷・帳合い作業・郵便の受け取り・会計をひとりでやってくれてるOくんもおるし、発送作業にはKさんYさんRさんらが助っ人に来てくれて……。
 それから坂口くんは、死刑執行があると、かならず大阪拘置所に一人でも抗議にいくんやけど、そのときもKさんやRさんやHさんやらがかけつけてくる。そういうひとたちの存在があって、“かたつむりの会”は、三十年(に一年足りない年月)つづいてきたんやった。
 そして、九一年、安田好弘弁護士を中心とした“死刑廃止フォーラム・東京”が誕生。それにつづいて大阪でもアムネスティのひとたちといっしょになっての“死刑廃止フォーラム in おおさか”が生まれた。その時から、坂口くんたちはフォーラムのメンバーといっしょに活動している。
 それにしても、いまでは“かたつむり”唯一の存在証明「死刑と人権」(隔月刊)は、原稿はだまっていても毎号二九頁にもなる部厚さというんやからすごいもんや。発送は獄中・獄外合わせて四百ほど。もちろんいささか長い年月やから、その間死刑囚との手紙のやりとりや面会のほか、風船もって街に出かけてビラまいたり、宣伝カーをしたてて街を走ったり、公開講座や、またある日曜日、天王寺公園の松の木に縄をかけてそれに吊るされる死刑囚のパフォーマンスで署名集めをしたり……もやったけど、要は、もうこの圧倒的な死刑肯定の「世論」の中では、看板をあげ続けるだけでも意味があるんや——と開き直って、ひたすら隔月間のニュース「死刑と人権」の発行だけは守り続けて(現在一五一号)、ともかく消えずに存在してきた。
 で、こんどの「世界死刑廃止デーにデーをしよう」——という、“かたつむり”単独の呼びかけは、ほんとにひさびさのことなんです。
 一〇五人まであと四二人!
 よろしくおたのもうします。
水田ふう

7/5大阪「反G8ぐるぐるアクション」の記録2008年09月09日 10:30

 もう二ヶ月もまえのことになってしまったけど、大阪の若い友人から七月五日、反G8ぐるぐるアクションなるものをやる——というメールがきて、「おもしろそうやな、よっしゃいってみよ」と、わたしも自分のビラを百枚ほどつくって、集合場所の環状線の福島に行ったんや。
 そしたら、なんと、狭い駅構内は制服私服の警官でいっぱいやんか。それに駅員も加わって、五十人〜七十人?くらいもいたやろか。これみんな「ぐるぐるアクション」のためにきてるの?
 警官たちをかきわけて、やっと友人たちをみつける。これほどの取締りの対象になってる仲間たちはといえば、赤ちゃんをベビーカーにのせて、ちっちゃい男の子の手をひいた若いお母さん、それから臨月まじかのお腹をかかえたひと、あと十人もいたかな、みな二十代の若々しいひとたちや。(おとこも三人ほどいたかな)
 はじめ、この日の作戦は、ビラいうのはなかなかとってもらえないから、混んでない時間帯の環状線に乗り込んで、坐ってる、ひとりひとりにビラを渡していく。全車両の乗客に配り終わったら、電車を降りて、またつぎの電車に乗り込んでビラをわたす。電車で坐ってる乗客いうのは、目的地に着くまでは所在無いから、たいがいはビラを受取って読んでくれるんや。環状線はぐるぐるまわってるから、なんぼ乗っても電車賃もかからんし、ビラマキには絶好や——というわけ。
 しかし、この日は、電車に警官隊もいっしょに乗り込んでくるから、電車内でびらまきでもしようものならただちに逮捕?もありうるようなフンイキや。
 で、急きょ作戦をかえることに。電車のあっちとこっちの座席にすわって、大声で掛け合いをしよう。大声でしゃべるのを禁止する法律はないはず——ということで、一時間ほど電車の中を舞台にしての「ぐるぐる行動」とあいなったしだい。
 その様子を記録した動画が、G8 madia network (メディアネットワーク) に掲載されています。(わたしのばばさんぶりがめだちます。)
http://freezone.g8medianetwork.org/?q=ja/node/155
(ふう)

10.25 辺見庸講演会○…「痛み、あるいは狂気について—“彼”は狂っているか。私たちは正気か(秋葉原事件を念頭に)」2008年09月05日 13:25

辺見庸講演会 第三弾
○…「痛み、あるいは狂気について
—“彼”は狂っているか。私たちは正気か(秋葉原事件を念頭に)」
 
「価値観の底が抜けた時代」「資本という『虚』が、道理や公正、誠意といった『実』をせせら笑い、
泥足で踏みにじっている倒錯的世界」
——辺見庸氏のこうした言葉は、
不条理に満ち満ちていながら敵が見えない今という時代の核心を撃ってくる。
開いてしまったパンドラの箱から飛び出してきた闇が、
世界を、私たちを、浸食しつつある薄気味悪さを痛切に感じながらも
言葉が追いつかないもどかしさ。
なんという変容の時代を私たちは生きているのでしょうか。
そんな時代にあって、思索と想像力の磁場となる辺見庸講演会を、
およそ2年ぶりに大阪の地で開きます。
ぜひ、ご参加ください。

日時 2008年10月25日(土)
   会場18:00 開演18:30
場所 クレオ大阪中央
 地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ケ丘」駅下車。①②番出口から北東へ徒歩3分)
参加費 前売り1,000円 当日1,300円
定員 1,000人(親子室あり)
主催 辺見庸講演会実行委員会
 〒553-0003 大阪市福島区福島6丁目22-17 松本工房内
 http://dokomademo9.verse.jp
 mail : osaka@dokomademo9.verse.jp

*参加お申込み方法
 下記の振込口座にお振込みください。
 郵便振込取扱票の振込金受領証を当日持参ください。入場券と引き換えます。
 振込郵便口座 00950-9-281337
 口座名 辺見庸講演会実行委員会
 (当日は混雑が予想されますので、できるだけ事前にお申し込みをお願いします。

発売中! 月刊「むすぶ」451号、特集:今、立ち止まって死刑制度を考えてみませんか。2008年09月02日 21:43


 京都で出ている雑誌・月刊「むすぶ」(ロシナンテ社)の死刑特集号が刊行になりました。
 かつての誌名は月刊「地域闘争」。1970年から、住民運動の全国交流誌として月刊で発行されつづけている雑誌です。
 かたつむりの会から、水田ふう、それから坂口誠也さんの2人が文章を寄せています。水田原稿は、若い友人のひおきまりこさんとの対話形式で、なんと破格の13ページ。坂口さんの原稿も5ページ。B5判の薄身の雑誌の特集にしてはかなりのスペースがさかれていて、読み応えたっぷりです。
 ロシナンテ社のホームページからも注文可。ぜひ、手にとってみてください。(MN)

 ★

月刊むすぶ No.451
特集:今、立ち止まって
   死刑制度を考えてみませんか。

死刑廃止の、その気持ち。〜死刑廃止をどうして言い続けるのか?〜 水田ふう&ひおきまりこ

死刑制度は国家による殺人 亀井静香
死刑廃止について 左藤 恵
死刑制度について 赤瀬川勝彦
暑中お見舞い申し上げます 林 真須美

10・12世界死刑廃止デーにデモを!
「あなたに、105人のひとりになってほしい」 坂口誠也

死刑について思うこと 猪島 克
それでも死刑は必要か 橘 智子
「人を殺してその血を身に負う者は、死ぬまでのがれびとである。だれもこれを助けてはならない」 菅澤邦明
「死刑について」 佐無田義己
死刑は男の暴力 斎藤綾子

ロシナンテ社
http://www9.big.or.jp/~musub/index.html
京都市東山区泉湧寺五葉ノ辻町28
郵便振替 01080-6-42151
840円(悪税込) 送料84円

105人デモ!! ただいま63人2008年08月29日 18:03

 さすがにちょっと涼しくなってきました。ほっと一息です。
 さて、今日は八月二五日。犬山はお盆です。昔このあたりはお蚕さんを飼ってる家が多くて、十五日あたりは一番忙しい時期やったそうな。で、お盆は後回しやったのが、今もつづいてるんです。桑畑なんか今はどこにもみかけないけど、犬山駅を下りるとずっと桑畑がつづいてたって向井さんいってたなあ、と思い出しながら、今朝は五時に起きて、お墓に。
 それから、午前中は一時間かけて墨すって、幟端(のぼりばた)の布に大筆で「殺すな」「死刑はやめよう」とふたつ書いたらもう疲れてしもた。あとはあしたにしょ。なにしろ墨をするのが一仕事。腕と指が痛くなった。はじめ墨汁で書いてみたんやけど、散ってしもて字にならんのや。みんなに、幟端を三十本つくるなんていうたけど、とてもとても、そんなことでけんわ。十本がせいぜいやなぁ。それに文句も短いのでないとあかん……。
 デモ申請にもいかなあかんし、(一度行ったんやけど、早すぎるから一ヶ月まえにもう一度きてくれいわれて)デモコースの下見にまたいかなあかんし(予定してた公園が借りれんかったから)、他にもまだまだせなあかんことがいっぱい抜けてるような気がして少々あせってきた。あともう四七日……。
 先号で「ただ今、四六人」とかいたけど、いま現在六三人になった。でも風の噂で「いくよ」って声があちこち?から聞こえだしたし、知らない人が三人も自分のブログに自分の言葉をそえてデモの案内を載せてくれてるのを発見したし、一〇五人まで、もうひとがんばりや。どんなひとたちが集まってくるか楽しみ。
 まだいろいろ書きたいことある気するけど、きょうは墨すりと書き慣れんことしてくたびれてしもた。午後はお客さんやし……。
 じゃ、十月十二日に待っています。(風)
*「死刑と人権」No.152(かたつむりの会)より

いまだからこそ考えてみる 戦争と死刑2008年08月25日 08:34


 死刑は必要。
 戦争は反対。
 そんな声は時どき身近からもきくけれど……。
 集会のご案内!(MN)

 ★

いまだからこそ考えてみる
戦争と死刑

日時 8月31日(日) 14:00〜17:00
講師 池田浩士さん
参加費 500円
場所 エル大阪(地下鉄・京阪 天満橋下車)
   http://www.l-osaka.or.jp/pages/access.html

 EUをはじめ世界的に死刑廃止の流れの中で、鳩山法相は就任以来13名もの死刑を執行している。秋葉原の事件に象徴されるように、過熱するマスメディアの報道は、事件の実相に迫るどころか、ますます本質から目を逸らす。それを追い風にするかのように、多くの国民は死刑制度を支持し続けている。
 来春から裁判員制度が導入されるが、他人事では済まされない。国による暴力が認められているのは「戦争」と「死刑」である。なぜ、国が認める暴力は許されるのか。そんな素朴な疑問から、社会のありようを考えてみたい。
 「死刑の[昭和]史」(インパクト出版会)の著作のある池田浩士さんのお話をお聞きします。ご参加よろしくお願いします。

主催 どこまでも9条の会 大阪市中央区内淡路町1-3-11 シティコープ上町402 市民共同オフィスSORA内