向井さんと山口さんの「鬼」 ― 2008年05月05日 21:05
三日、奈良の故・山口英さん宅をたずねた。
一昨年山口さんに話をききにいったとき、戦前、向井さんとつくっていた自由律俳句の雑誌「鬼」がどこかにある。そうはなしていたので、整理の前に、どうしてもそれを見たかった。
向井さんのもちものは三度の空襲ですべて焼けてしまったから、それだけが、戦前の痕跡なのだった。
みつかった俳誌「鬼」は二冊。
壱号、一九三八(昭和一三)年二月五日発行、一二頁。
弐号、同年三月五日発行、六頁。
A5判(ヨコ長)、手書き。発行所、鬼ぐるーぷ。
一号には同人が五人、それぞれの個人名で作品を並べている。
しかし、一月後に刊行された二号は、同人が山口さん向井さんの二人だけになる。後年のイオム同盟の詩作品と同じく、共同の作品として個人名をしるしていない。
そして、同号「鬼第二輯宣明」には、「ある事情によりまして第三輯から詩の雑誌といたすことに相なりました」とあるが、その「次号」は、戦争をまたいで九年後の一九四七(昭和二二)年まで、ありえぬ話となった。
焼け残って、七〇年後に私たちの目の前にとどけられた「鬼」には、たとえばこんな作品が載っている。
動 物 園
戦 勝 日 人 に あ ら ざ る 猿 寒 し
*
遺 骨 抱 き 今 日 は 戦 に あ は ざ り き
起 き よ う と す る 足 の な い 馬 を 押 さ え て ゐ た
砲 車 か ら や っ と は ず さ れ る と 死 ん だ 馬
「昭和」一三年。
手もとの昭和史年表を見た。
前年、廬溝橋事件。大本営設置。南京占領。
同年、岡田嘉子、杉本良吉とソ連に亡命。国家総動員法公布。竹製スプーン・鮭皮ハンドバック代用品発売。掲載写真の説明「市街地演習を行う名古屋享栄商業の学生」……
そのとき、向井さんも山口さんも一七歳だった。
「鬼」三号は出ていない。こわくなった印刷屋が刷るのをこばんだ、と向井さんからきいた。
晩年の向井さんのかわいた笑い話。「たんなる写実や」と説明したら、もっときつくやられた……
特高の逆鱗にふれた、次の作品。
軍 服 の き ち が ひ が ゐ る 紀 元 節
(MN)