世界死刑廃止デーにデモをしよう2008年04月29日 09:17


 10月10日の「世界死刑廃止デー」に大阪でデモをやります。
 まだ4月やからちょっと先の話のようやけど、いまから準備せんかったらとっても人が集まらんのやないかと思って。それで、そのお誘いの手紙です。10日は金曜やから、みんながこれる12日(日)にやりたいと思っています。この手紙を読んで「よし、いったろ」と思われた方は忘れんように、手帖に書き入れておいてください。

 わたしはこれまで死刑廃止いうて、ほんまにようけ書いてきた気がする。書くだけやなしにけっこう動いた時期もあったんや。けど、いま古びた紙に刷られた自分の文を読み返してみても、同じ内容のくりかえしみたいなことやし、たとえば「死刑」を待ち望んでいるような世間に向けて、改めて「死刑廃止」を訴える説得力ある言葉はでてけえへん。そやから、これはすでに「死刑廃止」を腹に決めてるあなた! に向けての手紙です。(もちろん決めてなくても、「よし、いっぺん野次馬で見にいったろ」という方も大歓迎です。1対1ならわたしもなにかことばがでてくると思います。)

 日頃は、犬山にすっこんで猫と昼ねしてるわたしが、このデモを思い立ったのは、鳩山法相の唖然とするようなことばと態度に、もうガマンならんと思ったからです。このままやと、死刑がバンバン執行されてしまう。死刑判決も、去年は10年前に比べるとなんと5倍!の47人にたいして「宣告」がなされているのです。
 だれもが忘れてないと思うけど、鳩山法相は、就任以来、続けざまに2回の死刑執行を強行しながら、「……現在百人以上の死刑囚がいる。おそらく国民の多くはこの状況に納得されていない」「死刑は国民の9割近くの支持がある」「刑事訴訟法では、死刑が確定したら6ヶ月以内に法務大臣が死刑執行を命じなくてはならない」「私は刑事訴訟法に則って粛々と執行すべき」——とこれからも処刑の「ベルトコンベア」をフル回転させることを宣言しています。

 「世論調査」なるもんをわたしは信用してへんけど、それにしても「死刑廃止」を近所の人に云ったとたん口きいてもらえんようになったりとか、テレビや週刊紙で安田弁護士らにたいするバッシングをみてたら、ほんまに、いまや「死刑廃止」は「非国民」と同義語みたいや。デモなんかしたら石でも飛んできそうな雰囲気やんか。それならよけいに世間にむかって「死刑廃止」をうってでよやないか、「非国民」おおいにけっこう——いうわけ。
 このいまの社会状況——それはもうすでにじわじわと〈非常時〉や——をつくり出している「民意」なるものが、国家と1体になったマスコミに煽動されて「死刑・死刑」の大合唱や。その世間に囲まれて、わたしらは決して多数派やないけど、決してつぶされてしまわない少数派として、街にでて「死刑廃止」の旗を高くつきだそうやないの。

 それで、どんなデモにするか、いうことなんやけど——
 デモの人数はどうしても最低105人は要るんや。 
 『FLASH』の最近号に〈死刑囚105人——全罪状と「顔」〉という記事が載った。105いうのは、いま現在の死刑確定囚の人数。鳩山法相はこの105人を殺そうとしてるんや。すでに次の段取りを決めてるかもしれへん。鳩山にとってこの105という数は、単に、執行されてない数が、ふえすぎた数としての105かもしれんけど、〈死刑囚〉といえど、一人ひとり顔と実存をもって、いま生きている人間としての105人や。そやから、この105人を具体的な目にみえる形に表現して、「これだけの人たちを、あなた方は殺せというんですか!」「あなた方自身がロープをかけてでも殺したいですか!」いうて、1人が1人の死刑囚の名前・年令・顔をかいたプラカードを掲げて、キッと頭を上げて街を歩こうと思っているんです。だから、どうしても105人は最低来てほしいんや。105人以上の人たちが集まったら、もっといろんな表現をつけくわえられる。いま13人でスタートをきりました。

 わたしは、この105人のうち、大道寺将司さん、益永利明さん、大森勝久さんとは直接会って話したり、手紙のやりとりもしたことある、もう30年来の友人といってもいい人たちです。それから直接会ったことはないけど、ずいぶん前から名前を知ってる人が幾人もいる。
 最近では『こんな僕でも生きてていいの』(第1回死刑囚表現展受賞作)を読んだばかしやから、河村啓三さんはもう、ただの名前だけの人やない。河村さんはわたしが住んでた天王寺のすぐとなりの西成に生まれて、そこでどんな子ども時代をすごし、どんな環境のなかで育ち、どうして人を殺すようなことになってしまったのかを記憶をたどりながらじつに丹念に書いてる。人が人を殺すいうのは、裁判の紋切型の判決文からはとてもわからない、ほんまにいろんなことが重なりあって、自分でも思ってもみないような結果をつくりだしてしまう——河村さんはそのことに向き合い、その責任を自分で負うために、いま生きようとしている……。
 それから、〈全罪状〉と書かれてるけど、私らが知ってるだけでも、尾田信夫さん大森勝久さん佐々木哲也さん袴田巌さん荒井政男さん金川一さん奥西勝さん村松誠一郎さんは無実の死刑囚や。そのほかにも部分的冤罪の人もいる。量刑不当の人もいる。制度いうのは、絶対に間違いを犯すねん。今迄にもどれだけ無実の死刑囚が殺されていったことやろう。
 ほんまに、それでも「おまえは生きる資格がない」と決めつけて殺すんか!
 河村さんはいまでも人を殺したときの感触を思い出してうなされてるみたいやけど、それにくらべて死刑判決を下した裁判官はどうや。自分では直接手を下さず、下級官吏にその任をおしつけてるから、「殺人」の感触もないし、誰に死刑判決を下したか、名前さえ覚えてないやろ。
 遠くで匿名で「死刑・死刑」といってるひとらも、直接自分の手で殺すわけやない。その実際の処刑の現場では、一体どんなことがおこってるのか——。

 『……元刑務官の坂本敏夫さんは97年に処刑された永山則夫君が「全身に無数の打撲痕跡と擦過傷などを負い、無残な姿で処刑された」ことを関係者から伝え聞いたと記しています。処刑の3日後に遺品が引き渡された際、やかんの茶でもひっくり返したかのように布団が濡れていたそうですが、坂本さんの記述と符号するのではありませんか。連行の際に揉み合った、と。』——将司くんが「キタコブシ」に書いていました。

 いま死刑廃止は世界の流れいうことやけど、死刑制度を廃止しても、自国民他国民に死(刑)を強制する軍事国家同盟はなくなるどころかますます強固になり、日本政府もこれに追随している。戦争いうのは問答無用の死刑執行やんか! 敵国民を殺す戦争と非国民を殺す死刑。
 わたしは、「戦争」と「死刑」は、統治されているものが統治するものといっしょになって「正義」をおこなう、全く同質・同根のものと思ってる。

 しかし、これら圧倒的な国家の「暴力」のまえで、わたしらはいかにも丸裸やけど、しょうがない。いっそうスッポンポンになって身を晒すしかない。
 わたしらは、いかなる「死刑」にも「反対」してデモをします。
 10月12日(日)に、「その1人」として、あなたが来てくださるのを待っています。

2008年4月5日
文責・水田ふう
                    
▼「その1人」あるいは「野次馬」で「デモにいってみよ」いう方は、連絡ください。今後のニュースや「死刑と人権」などお送りします。
▼毎月集まって、6月からはじめる「死刑と裁判員制度」の連続講座の企画相談や、こんなデモを創ろうとワイワイ雑談会をやっています。次回の集まりは5月27日(火曜)7時よりです。ぜひ気軽に足を運んでください。

連絡先
 かたつむりの会 大阪中央郵便局私書箱1191号
  振替・00900-3-315753

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