ひとは夢でつながる。その夢は、ただの夢ではない――「死刑廃止!! 殺すな!! 105人デモ」を終って2008年10月22日 09:50


 今年の初め「十月の世界死刑廃止デーにデモをしよう!」と、思いたった。
 それからというもの、ひたすらデモだけできたもんやから、終って一週間になるというのに、まだ頭の中をデモがぐるぐるかけまわってる。
 翌日はなんともなかったけど、二日目あたりから足の付け根、背中、腰が痛くなってきた。(なにしろ先頭にいったり後にいったり、転んだりして走り回ってたから)喉もかすれ気味。右腕がしばらく痛かった。(マイクで大声を張り上げてたせいや)

 鳩山元法相が「ベルトコンベヤー式」を言いだして、二ヶ月にいちどの速さで十三人も処刑してしまった。
 こんな法務大臣、戦前戦後を通じて他にはいてへん。「八割の国民の支持があった」と言い切って開き直ってた。マスコミの煽動によって世間もこれを支持?して、「死刑廃止」なんて言おうものなら石でもとんできそうなフンイキや。よし、そんなら、そんな世間にむかって、あえておおっぴらに「死刑廃止」を宣言して街をデモろう――と思ったんやった。

 犯罪白書によると、殺人事件は戦後三〇〇〇から一三〇〇まで減っている。被害者の数でいうと七〇年代半ばで一二〇〇人やったのが二〇〇七年で六〇〇人を切っている。最近ではそれがさらに減少しているというのに、死刑判決は逆にどんどん増えて、一九九〇年、死刑確定囚は四六人やったのが二〇〇八年には一〇五人にまでなってたんや。
 それまでまがりなりにも「死刑はやむを得ない」やったのが、いつのころからか「死刑こそが正義」に変わってしまった……。

 「正義」こそ恐ろしい。合法的になんぼでも人を殺せるんやから。
 「死刑賛成」というあなた! 「殺せ 殺せ」というあなた! それはほんとうにあなた自身のなかから出てきた言葉なのか? マスコミや世間の声に惑わされて出てきた声ではないのか―― 戦争中みたいに「あいつは敵や」「敵は殺せ殺せ」と同じような心裡状態になっているんとちがうんか―― いま、この国には一〇五人の死刑囚がいる。あなたは、本当に、この一〇五人を殺せというのか。これだけの人を、あなたは、自分自身の手で殺すことができるのか――いうて歩こうと思ったんや。一〇五人という数を具体的に目に見える形にして歩こうと思ったんやった。

 しかし、一〇五人、ほんまに集まるやろか。
 なにしろ「かたつむりの会」のメンバーは三人。十五年まえ〈死刑廃止フォーラムいん大阪〉と〈かたつむり〉でデモをやったとき、集まったのは三十人足らず。
 集会でもやっぱり三十~四十人くらいかなあ。
 「かたつむり」で二ヶ月に一度発行してる「死刑と人権」の読者は全国で三〇〇人ほどいるんやけど、年令も高齢化してる。「風」の読者もそれと似たようなことや。遠方からきてもらうにはしのびない。
 わたしも「かたつむり」といいながら、犬山に越してきてから大阪は遠くなって、ここ十年以上、死刑執行があって大阪拘置所にいく以外、ほとんどなんの動きもしてない。なんとか関西近辺からきてもらわんことには――と思って、ともかく大阪通いを始めた。
 「死刑と人権」に同封した九月一六日付けのビラに、「参加者・ただいま七四人! デモまであと二八日」とかいてる。この段階では、ほんまに一〇五人集まるやろか――とかなり悲観してた。
 デモの前日になってやっと一〇五人になったけど、ギリギリまで心配やった。
 それがなんと、十月十二日の日曜日、南堀江公園に全国十六都府県から二〇〇人以上もの仲間たちが参集した。一八〇人くらいという人もおったけど、二五〇はたしかや、いや三〇〇人はいたでという者もいて定かではないんやけど、首に一~一〇五までの番号をぶら下げてた人が、下げてない人の群に隠れるほどで、「死刑囚」を探すのがむつかしいくらいやったから、デモでは一〇五人の倍以上いたのはたしかや。口から口の口コミで広がっていったんやろな。

 今年のはじめに思い立ったとはいっても、デモ案内の手紙ビラをだしたのは四月はじめ。それを持ってあちこちに顔をだしながら、デモに続く前段として〈裁判員制度と死刑〉の連続講座を企画。ところがやってみて、参加したほとんどは死刑制度より裁判員制度の方に関心があって来た人たちで、デモとは結びつかんかったなあ。それでいったん連続講座は休憩してデモのことに専念せなあかんわ、とあわてだしたのが七月。
 七月五日、大阪の若い衆が〈G8反対〉で〈環状線ぐるぐる行動〉をするというメールを送ってきた。さっそくデモのお誘いビラも持って待合せの「福島」駅に出かけてみると、まあ、ベビーカーをひいたり赤ちゃんだっこしたり、お腹の大きいひとや、ほとんど二十代三十代前半の若者たち十七、八人。そこになんと警察が五十人以上もきて取り囲んでるんや。その警官隊が電車にいっしょに乗り込んでくるから、予定の車内ビラ配りは中止して、座席に座ったり、立ったりしたそのままで、あちらとこちらで大声で〈反G8〉掛け合い漫才? それには警察も手が出せなくてみんな大満足。さしずめ車中寄席というわけや。

 八月の十六日にも若者たちの「のびのびサウンドデモ」というのがあって、かたつむりの三人とビラ持って行ってみると「環状線ぐるぐる行動」にきてた人らとまた会った。
 サウンドデモいうのは先頭のトラック荷台にサウンド機材を積み込んで、プロやセミのDJがそれを操作してガンガン音を出す。東京で始まったこのサウンドデモは、若者の間ではやっぱり人気がたかい。
 わたしも東京で最初の頃何回か参加したけど、やみつきになりそうやった。三年前に名古屋の仲間とやったサウンドデモも、東京からプロのサウンド機材を積んだ仲間がきてくれて、ビルの谷間を震わせるような、それはそれは大音響で、体の芯にズンズン響いてなんともここちいいねん。
 しかしサウンドデモいうことで、それまでの反戦デモなんかではみられん、警察の異常な対応やったことも覚えてる。

 この「のびのびサウンドデモ」は取締りもそれほどきつくなかったし、大音響というわけではなかったけど、体に響くサウンドに乗って、文字通りみんなのびのび踊ったり、明るい顔つきで、「貧乏人の一揆だあ」などと叫んでる。
 「これが噂のサウンドデモか」いうて、かたつむりの二人もうれしそうに歩いてたな。百人ちかくはいたやろか。(その勘定でいくと、一〇五人デモは、やっぱりこの日の三倍近くはいたなあ?) そして、この月から「環状線ぐるぐる行動」を企画したGたちが相談会に来てくれるようになって、「かたつむり」はいっぺんに活気づいたんやった。
 そうなると人が人を呼ぶんやな。「サウンドデモでビラをみて」といってKくんが来るし、「デモの案内を友人のブログで見て」いうてSさんが加わり、自分でもビラをつくって(わたしらのセンスではとてもつくれん面白いビラや)、自分のバンド仲間や、あちこちに千枚近くも撒いてくれたり……頼もしいというか、うれしいちゅうか。こうやって新しい仲間に出会えるいうことが、何かをやる醍醐味やなあ。

 八月四日、出発地点の公園がやっと決まって撒きビラができたんやけど、それを「おさきまっくろ」のブログにのせたら、一気にブログを見るひとがふえた。それまでせいぜい一〇〇くらいやったのが三〇〇くらいにも上がったんや。
 デモが終った後も四〇〇ちかいひとが見てたし、これはもう公安やらだけではないやろ。デモに参加した仲間や、デモに関心をもってみてくれてるひとにちがいない。

 「死刑と人権」の読者の年齢層は、わたし(六十代)と同じくらいか、それよりちょっと上か下か、いずれにしても、五十代以上やろ。しかし当日の顔ぶれを見てみると、六割がたはわたしの知らない二十代~四十代で、あとはいろんなところで顔を会わせたことのある、大阪や各地でいまなお、それぞれなんらかの市民運動にかかわりながら死刑の問題にも関心をよせている五十代以上の人たちが三割――いうかんじかな。(残り一割が主催者周辺)
 ほんまに、このいろんな年代層がそれぞれの場所から一つのデモに集まったいうことが近ごろではめずらしい。めずらしいだけやなしに、いろいろなんが集まるとそれだけで不思議な相乗作用が起きるんやな。
 これこそ自由な連合がつくりだす相互補完的活気というか……ベビーカーをおした子どもづれ、車椅子のひと、紳士淑女はおらんかったけど、若いにいちゃんねえちゃん、おっちゃんおばちゃん、服装も派手なのから地味なのから、うさぎの着ぐるみきた中学生もいたな……にいちゃんが警官とやりあってると、おばちゃんがとめにはいるし……おばちゃんが転ぶとにいちゃんが起こしてくれるし……車椅子を交替でおしたり……にいちゃんがこどもをみたり……マイクも交替でつぎからつぎと誰かがしゃべってるし……なにしろ主催者メンバーいうても五人きりみたいなもんで、当日各地から来てくれた人に急きょ受付けやらスタッフやらをおねがいして、あとはもうそれぞれ、その場その場で役割を買って出て、デモ百戦錬磨のひともきびきび動いてるし、頼もしいかぎりやった。

 今回のデモの先陣を切ったのは、高さ三メートル以上もある「だんじり」。これを思いつき作ってくれたのは、「環状線ぐるぐる行動」のGたちや。つくった本人たちが、「たぶん、これは大きすぎて警察とモメルで」と言いながら公園で組み立てをしてたんやけど、高さの規制は許可条件には入ってなかったから、こんなん予想もしてなかった警察は、いまさらどうすることもでけへん(次回からはごちゃごちゃ言われるかもしれんけど、その「根拠」はどこにもない)。
 「だんじり」にはサウンド機材を積むことにしてたけど、軽トラで申請すると、勝手に「暴れるサウンドデモ」を警戒されて警備がきつくなっては困るから、あえて「人の力で動かす車――人力車」で申請したんやった。
 この「人力車」を見て「だんじり」や、とうまいこと表現してくれたのは、泉南のひとやったけど、まさにそうやった。「だんじり」は大活躍や。なにしろ目立つ。(ほんとうは、このやぐらには、Gたちの仲間が一日がかりで作った手書き手縫いの幕で覆われるはずやったけど、それが乾かしてた公園から盗まれて残念無念! 改めてつくった幕に足して、ノボリ旗用につくった「叫びたし寒満月の割れるほど」の長い旗を垂らしたんやけど、遠くからも沿道からもよく見えた。デモ隊の中からつきでた十五本のノボリ旗も「一揆」みたいでなかなかよかった。)

 祭の「だんじり」は、前に進むだけやなしに後にもどったり横にゆれたり、ぐるぐるまわしたりしながら進むもんや。デモの源流は祭にある。郡上祭は百姓一揆で殺されたものたちの怒りの表現やった。(デモ申請で、祭りやったら道路いっぱい許可がでるのに、デモやったらなんで許可せえへんねん、エコヒイキするな言うたら、祭とデモとは違うんやと)
 当然この日の「だんじり」も後にもどったり横にゆれたりぐるぐるまわったり……それで一しゅんひとり逮捕されそうになって、もみくちゃになった場面もあったけど、無事にすんでこれはほんまにホッとした。

 福岡から参加のTさんが「不思議な二〇〇人の集まりやった」とメールくれたけど、考えるとほんまにそうやった。
 Mちゃんも「死刑廃止というと人権派というか宗教関係というか専門家というか、死刑廃止を言っている人たちの『とくべつさ』みたいなものが、つきまとっていたのだけれど(そうじゃないことの、いらだちもあった)なんだかストレートに死刑はやめよう! と、みんなで叫べて、それがちっとも違和感なくて連帯感あって、うれしい気がしました」とメールで言ってきたけど、今回「一〇五人デモ」に参集したひとたちは、これまで「死刑廃止」運動とは、あんまり縁がなかったひとたちではなかったかな。
 GたちやSさんKさんたちからして、「死刑」について考えたり、「死刑」のデモをするのは、今回が始めてやったと思う。
 デモの一週間前、デモ参加を申込んできたひとたち八十七人に、一〇五人で沿道のひとたちを惹きつけるデモをどうやるか――「デモについての下書き」という手紙を送った。そのとき警察がどうでるか、もしもめるようなことがあったらどうするか。これはぶっつけ本番「法務大臣」「看守」「番号をぶらさげた死刑囚」の「芝居じたてのデモ」なんです――いうつもりで。でも、そんな小細工、デモが出発したらふっとんでしもた。

 「アメリカ村」を通る――いうことで警察とさんざ押し問答したんやけど、ここはちかごろ、いまどきの若者たちが集まる大阪名所のひとつなんや。せまい道路をはさんで両側にびっしり店がならぶ商店街や。それも日曜の午後やから、そりゃあごったがえすほどの若者たちが歩いてるわけや。その真っ只中に「だんじり」先頭に、死刑廃止集団が登場したもんやから、みな立止まって目をぱちくり、口をあんぐり。Sさんの太鼓がドンドン鳴り響く。「わたしは、ほんものの法務大臣です」の演説も、「死刑囚一〇五人」の訴えも耳を傾けて聞いてるようすや。ビラにも手をだしてくれる。罵声もあったけど、石なんて飛んでこんかった。受取ったビラを高くかざしてデモを見送ってくれた服屋のおにいさんもいた。
 日曜の御堂筋もたくさんの人出や。松竹座の前なんか鈴なりになってデモをみてた。杉良太郎のファンのひとらも珍しいんやろ、けっこう注目してたなあ。

 この感じからすると、誘導尋問ではない、ちゃんとした世論調査をしたなら、八〇%死刑支持なんてことにはならんと思ったな。
 いままでテレビからは「死刑」「殺せ」いうことばしか聞こえてこんかった。それが突然、二〇〇人以上もの「死刑廃止」集団が「だんじり」を押し立てて現れ、「殺すなー」「死刑廃止ー」「死刑は人殺しやー」いうおおっぴらで、まっすぐな叫びが聞こえてきたもんで、びっくりしたんやろ。
 世の中には「死刑廃止」いうことばがあって、「死刑廃止」を叫ぶ者たちがこれほどもいるんや――とはっきり目に焼きついたにちがいない。

 「死刑廃止」は特別な信念をもった人だけの特殊な思いではないねん。「殺されたくない」「殺したくない」という、これはもうリクツではない、わたしら誰でもが持ってる、生き物として備わってる、本能的な感覚からでてくるものなんや。そやから、「死刑は人殺しなんや」「殺すな」の叫びは人のこころにとどくはずや。
 時に「犯人」に向かって「あんな奴はやっぱり死刑や」という思いがでてくるのも「殺されたくない」という思いとつながってあるもので、自分のなかにもあるものや。
 そやからこそ、わたしらは「殺せ」ではなく、誰でも持ってるもう一方の感情「殺したくない」「殺すな」――を、こんな殺伐として、ひどい世の中やからこそ、声限りに叫びたいんや。

 このおおっぴらでまっすぐな叫びは、死刑執行命令をだす法務大臣一人にむけられたものではもちろんない。国家そのもの、政府そのもの、そしてなによりこの「クソ社会」に向けられた異議・異和・反対の叫びなんや。そうしたものたちがこのデモに集まってきたんやないか。
 その怒りのエネルギーがあんなにも高揚したデモをつくりだしたのにちがいない。
 死刑廃止は、本来の素朴単純な「人を殺すのはいやや」からはじまって、国家そのものを対象とせざるを得ないラジカルな質をもってる。自分がどんな社会を理想とするか、その在り方・質が問われる運動でもあるんや。

 いまは夢が失われた時代やそうな。
 「死刑廃止」も現実路線として「終身刑」の導入がいわれている。しかし、獄中処遇の具体的な改善を一つひとつかちとってきた仲間にも、あるいはデモで何が変わるんやいうひとにも、わたしは言わずにはおれん。
 「死刑廃止」には「死刑廃止」にとどまらない、深い夢があるんや。運動から夢をとったらそれは運動ではない。
 夢を追って、その「過程に奮迅する」――いうのがわたしらのご先祖さんからの教えなんや。

 デモの後、六十五人も残った交流会の場で、安田好弘さんが言われた「なんで終身刑か」という話しは、だてやおろそかには聞けんはなしやった。わたしは安田さんが好きやし、はなしに心をうたれた。しっかり覚えておこうと思ってる。
 「終身刑反対」のわたしは、安田さんとは立場考えが違うけど「死刑廃止」をいっしょにやっていく仲間やと思ってる。

 いままで運動いうのは、分裂・抗争の歴史やった。運動いうのは、違う人といっしょにやるもんや。しかし、いまだにそれは実現されてない。違うものと自由に連合する――いうのが、わたしらの夢や。
 人はやっぱり夢でつながっていくんやと思う。そのことをつくづく思い、実感したデモやった。
 「死刑廃止!! 殺すな!! 105人デモ」に参加してくれた、応援してくれた一人ひとりと、握手を。

いかなる死刑にも反対!
殺したくない 殺されたくない!
生まれたら殺されることなく、殺すことなく生きられる社会を!

水田ふう