絞首刑のあとで ― 2008年04月20日 10:42
粛々と、という言葉は、なんと卑劣で誤魔化しのことばであることか。
四月一〇日。ひる過ぎ、仕事中のコンピュータでニュースを盗み見て、ぼくは「死刑執行」があったことを知った。鳩山邦夫法相の、三たびの絞首刑命令だ。東京で二人、大阪で二人。「バタンコ」の上に立たされて、音とともに下へ落とされたのだった。
翌日の夜八時、平山まゆみさんから電話をもらって、ぼくは東京拘置所で縊られた岡下(秋永)香さんのお別れ会に参加することができた。
会場は山谷労働者福祉会館。小菅から荒川と隅田川を隔て、ほど近いそのあたりは、いつものように人が地べたに眠り、たっぷりとよごれ、ぬれていた。
会場には、四人のご家族、交流のあった仲間たちが集まり、お別れのときにはだいたい三〇人ほどになっていた。部屋へ入ると、棺の中をのぞき込んで何かをたしかめて、座る。その仕草はみんな似ていた。
棺を前にして坐り、これまで岡下さんとかかわりをもってきた人たちやご家族の声をきいた。遺体引き取りのさい、弁護士の立ち会いを拒まれたこと。面会時のエピソード。手紙のやりとり。シスターの語った、未熟な社会があなたを殺させてしまった、申し訳ない、という言葉。とぎれることがなかった家族との関係。それぞれが口をひらいたが、その言葉はあちらこちらを向いていた。言葉の先には、岡下さんがいたり、たったいま時間を共有している仲間がいたり、あるいは語る人自身がいた。突然、存在が消えるということは、こういうことなのだと思った。
ある方から、棺の中の岡下さんと会って、やすらかな顔をしていると感想がもれた。いまはもう、やすらかであることをみんなが望んでいた。でも、これは、けっしてやすらかな死とはいえまい……。だれもが心の中だけで思ったのは、「無念」ということだ。ぼくは棺の中の岡下さんの顔を見ながら献花した。黄色とオレンジのガーベラを、腰のあたりにおいた。
本人が希望したという献体までの予定を数時間延ばして確保したわずかな時間を、静かに、一秒一秒、いままで生きていた人間の存在を、確かめ合うような切ない会だった。閉会まであと一五分というところで、お茶と菓子が回された。熱すぎて飲めないお茶を紙コップからみんなですすった。煎餅を齧る音も少しした。帰り道、ご家族が、問わず語りに、(岡下さんは)最後に、こうして、みんなといっしょにいることができてよかった、と云うのを聞いた。あのお茶はわずかな共有の印だった。
一〇時五分前、棺が担ぎ出された。狭くて急な曲がり階段を、七、八人がかりで抱え降ろした。足を下にして、と声がかかる。すると、棺のなかから水が流れ落ちてきた。溶けたドライアイスだった。もうこぼれんばかりの花々でいっぱいになった棺は、黒塗りの大学病院の車にのって、クラクションもなしに、ゆっくりと走り出した。
ウリ東京・中島雅一
四月一〇日。ひる過ぎ、仕事中のコンピュータでニュースを盗み見て、ぼくは「死刑執行」があったことを知った。鳩山邦夫法相の、三たびの絞首刑命令だ。東京で二人、大阪で二人。「バタンコ」の上に立たされて、音とともに下へ落とされたのだった。
翌日の夜八時、平山まゆみさんから電話をもらって、ぼくは東京拘置所で縊られた岡下(秋永)香さんのお別れ会に参加することができた。
会場は山谷労働者福祉会館。小菅から荒川と隅田川を隔て、ほど近いそのあたりは、いつものように人が地べたに眠り、たっぷりとよごれ、ぬれていた。
会場には、四人のご家族、交流のあった仲間たちが集まり、お別れのときにはだいたい三〇人ほどになっていた。部屋へ入ると、棺の中をのぞき込んで何かをたしかめて、座る。その仕草はみんな似ていた。
棺を前にして坐り、これまで岡下さんとかかわりをもってきた人たちやご家族の声をきいた。遺体引き取りのさい、弁護士の立ち会いを拒まれたこと。面会時のエピソード。手紙のやりとり。シスターの語った、未熟な社会があなたを殺させてしまった、申し訳ない、という言葉。とぎれることがなかった家族との関係。それぞれが口をひらいたが、その言葉はあちらこちらを向いていた。言葉の先には、岡下さんがいたり、たったいま時間を共有している仲間がいたり、あるいは語る人自身がいた。突然、存在が消えるということは、こういうことなのだと思った。
ある方から、棺の中の岡下さんと会って、やすらかな顔をしていると感想がもれた。いまはもう、やすらかであることをみんなが望んでいた。でも、これは、けっしてやすらかな死とはいえまい……。だれもが心の中だけで思ったのは、「無念」ということだ。ぼくは棺の中の岡下さんの顔を見ながら献花した。黄色とオレンジのガーベラを、腰のあたりにおいた。
本人が希望したという献体までの予定を数時間延ばして確保したわずかな時間を、静かに、一秒一秒、いままで生きていた人間の存在を、確かめ合うような切ない会だった。閉会まであと一五分というところで、お茶と菓子が回された。熱すぎて飲めないお茶を紙コップからみんなですすった。煎餅を齧る音も少しした。帰り道、ご家族が、問わず語りに、(岡下さんは)最後に、こうして、みんなといっしょにいることができてよかった、と云うのを聞いた。あのお茶はわずかな共有の印だった。
一〇時五分前、棺が担ぎ出された。狭くて急な曲がり階段を、七、八人がかりで抱え降ろした。足を下にして、と声がかかる。すると、棺のなかから水が流れ落ちてきた。溶けたドライアイスだった。もうこぼれんばかりの花々でいっぱいになった棺は、黒塗りの大学病院の車にのって、クラクションもなしに、ゆっくりと走り出した。
ウリ東京・中島雅一
悲しむ自由のよろこび ― 2008年04月22日 23:15
昨夜のこと。
日暮里のサニーホールで、「済州島四・三事件60周年 共に歩もう平和への道」と題された集会が行われた。4.3 済州島(チェジュド)虐殺を思い起こす集まりだ。といっても今年だけではなく、例年同じ場所で催されている。もう5、6年も前になるかもしれない、マダン劇が出色の出来だったことを思い出す。数百人のホールは毎年満席だが、60周年にあたる今年はもちろん会場は人でうまっていた。
今年は黙祷の後、朴慶南さんが聞き手となって、金石範さんが話をした。1925年生まれの著名な在日の作家だ。
金さんは、すでに文芸誌「すばる」に発表したそうだけれど、60年後のチェジュドへ訪問されたという。金さんは、そのときは泣かなかったですよ。でも思い出してそれを書くとき、泣いたんですよ、ととつぜん、唇をふるわせながらだった。最初話すのがおっくうそうであった金さんの話はすぐに熱を帯びた。朴さんも泣きながらだった。殺された後も自分だとわかるように結んだタオル。強く触れれば壊れてしまうような骨。
金さんが済州島を訪れたそのとき、4.3は左翼分子に責任がある、とする意見広告が新聞に出ていたそうだ。抹殺された存在。泣いてはならぬ記憶。3万人余の死者。その半世紀——。
悲しむ自由のよろこび。その意味がわかるか? と金さんは韓国の若い新聞記者に問うたそうだ。
話が終わったあと、配られた当日のリーフレットをめくるとアンケートが挟まれていた。虐殺の責任はだれにあると思うか? 虐殺はなぜ起きたと思うか? その他の欄にマルをして、国家による、人間の自治本能と生命を抹殺する行為、と書いた。でも、ことばの——いや、その思いの軽さに気づいて、もっと知らねばならぬ、思わねばならぬ……けっきょくアンケートは出すことができず、持ち帰ってきて、いま目の前にある。
*
今日、地下鉄の駅に置いてあった、「metro min.」という無料の冊子を読んだ。ひさしぶりに藤原新也さんの連載「撮りながら話そう」を見た。
今回のタイトルは「チベット仏の物語」。ネパールへ、バッチャブッダ(チベットの赤子のブッダ像)をさがしに行ったときのことが書いてある。バッチャブッダは稀少品で、あきらめていよいよネパールを出ようとしたときに藤原さんの前にタンヂェンさんというチベット人の若者があらわれる。バッチャブッダを手にして。
かれの父親は、自分や母親の目の前で腕を切断され、頭を撃たれて殺された。そのとき、亡くなった父親の切り離された腕の掌の中に見た、バッチャブッダの話だった。
1950年代だけで、中国軍によって殺されたチベット人は100万人以上。
現在進行形の死の強制。存在そのものの圧殺。その中で、半世紀以上——
*
悲しむ自由のよろこび。その意味がわかるか?
その問いから、私も、身をそらしてはならない。(MN)
日暮里のサニーホールで、「済州島四・三事件60周年 共に歩もう平和への道」と題された集会が行われた。4.3 済州島(チェジュド)虐殺を思い起こす集まりだ。といっても今年だけではなく、例年同じ場所で催されている。もう5、6年も前になるかもしれない、マダン劇が出色の出来だったことを思い出す。数百人のホールは毎年満席だが、60周年にあたる今年はもちろん会場は人でうまっていた。
今年は黙祷の後、朴慶南さんが聞き手となって、金石範さんが話をした。1925年生まれの著名な在日の作家だ。
金さんは、すでに文芸誌「すばる」に発表したそうだけれど、60年後のチェジュドへ訪問されたという。金さんは、そのときは泣かなかったですよ。でも思い出してそれを書くとき、泣いたんですよ、ととつぜん、唇をふるわせながらだった。最初話すのがおっくうそうであった金さんの話はすぐに熱を帯びた。朴さんも泣きながらだった。殺された後も自分だとわかるように結んだタオル。強く触れれば壊れてしまうような骨。
金さんが済州島を訪れたそのとき、4.3は左翼分子に責任がある、とする意見広告が新聞に出ていたそうだ。抹殺された存在。泣いてはならぬ記憶。3万人余の死者。その半世紀——。
悲しむ自由のよろこび。その意味がわかるか? と金さんは韓国の若い新聞記者に問うたそうだ。
話が終わったあと、配られた当日のリーフレットをめくるとアンケートが挟まれていた。虐殺の責任はだれにあると思うか? 虐殺はなぜ起きたと思うか? その他の欄にマルをして、国家による、人間の自治本能と生命を抹殺する行為、と書いた。でも、ことばの——いや、その思いの軽さに気づいて、もっと知らねばならぬ、思わねばならぬ……けっきょくアンケートは出すことができず、持ち帰ってきて、いま目の前にある。
*
今日、地下鉄の駅に置いてあった、「metro min.」という無料の冊子を読んだ。ひさしぶりに藤原新也さんの連載「撮りながら話そう」を見た。
今回のタイトルは「チベット仏の物語」。ネパールへ、バッチャブッダ(チベットの赤子のブッダ像)をさがしに行ったときのことが書いてある。バッチャブッダは稀少品で、あきらめていよいよネパールを出ようとしたときに藤原さんの前にタンヂェンさんというチベット人の若者があらわれる。バッチャブッダを手にして。
かれの父親は、自分や母親の目の前で腕を切断され、頭を撃たれて殺された。そのとき、亡くなった父親の切り離された腕の掌の中に見た、バッチャブッダの話だった。
1950年代だけで、中国軍によって殺されたチベット人は100万人以上。
現在進行形の死の強制。存在そのものの圧殺。その中で、半世紀以上——
*
悲しむ自由のよろこび。その意味がわかるか?
その問いから、私も、身をそらしてはならない。(MN)
「おさきまっくろ」紙版4号は明日発売です ― 2008年04月26日 12:00
▼四月一〇日、またもや四人もの死刑執行があった。その日わたしは朝から出かけていてそのことを知らんかった。翌朝、坂やんからきていたメールを見て知ったんやった。その日、坂やんら(二人)はどしゃぶりの雨の中、大阪拘置所に抗議にいってた。
▼五日、東京で辺見庸・講演会「死刑と日常」がフォーラム90主催であった。千人ものひとがきていた。途中一〇分の休憩があったけど、三時間もの講演やった。ぐいぐい引き込まれて、躰中が熱くなってきた。辺見さんの命をかけた遺言のような講演やった。
▼六日は恒例の大阪拘置所まえの花見に参加。いいお天気で公園はすごい人出。「死刑廃止」「殺すな」(向井さんの筆文字)「カレー事件の林眞須美さんは無実」の旗をたて、団子汁をコンロで煮ながら、新しい顔ぶれも加わって酒盛り(総勢六人)。帰りしないつものように拘置所の周りを「死刑の執行をしないでください」「いやな仕事は断ってください」と一巡してると、マイクをもってた李さんに花見の酒で酔っ払った若い男が殴りかかってきた。……それから四日後の執行やった。
▼ここんとこ、また「死刑」のことばかり考えてる。それで「おさきまっくろ」のブログはずっと休憩状態やけど、一〇月の世界死刑廃止デーにデモをやるので、「風」の読者にもそのお知らせを送ろうと、急きょ「おさきまっくろ」の紙版をつくった。
▼三月三〇日、桜が満開に近づく頃、檜森孝雄さんの花炎忌。今年は七回忌になる。その一週間前、恵子さんおていさん中島くんと能代の海にいってきた。(風)
*
「おさきまっくろ」紙版4号が完成しました。
2007年11月14日から2008年4月20日分まで収録。
模索舎には明日もっていきます。
100円です。
それからみんな、10.12、からだあけといてね!
大阪で会おう!
MN
独立プレカリアート系「ゴールデンメーデーウィーク」日程表 ― 2008年04月26日 18:50
私たちに、安定は似合わない!
戦争があるかぎり。
死刑があるかぎり。
そして、収奪資本がのさばるうちは。
だれかの“死”に奉仕する安定を拒否し、
それでも、生きのびよう!
口笛をふきながら。
ウリ‐ジャパン(戦争抵抗者インター日本部)
以上、自由と生存のメーデーへの連帯アピールとして
*
全国独立系「ゴールデンメーデーウィーク」=P8(Poverty ∞:貧民サミット無限大)?
4月27日(日)
★名古屋 LOVE&ビンボー春祭り・アースデイあいち 2008
日時:2008年4月27日(日)10:00〜日没ぐらい(雨天決行)
場所:若宮大通り公園
合同開催 反貧困名古屋ネットワーク&アースデイあいち2008実行委員会
連絡先 nagoya_p_net(at)mail.goo.ne.jp
ed-aichi-net(at)hotmail.co.jp
090-6098-8512 サクラ
サイト http://earthday-aichi.net/
4月29日(火/休)
★熊本 KY(くまもと よわいもの)メーデー
時刻 4月29日 13:30
場所 辛島公園集合
主催 KYメーデー実行委員会
連絡先 mayday.kumamoto(at)gmail.com
ブログ http://maydaykumamoto.blog46.fc2.com/
★札幌 自由と生存の連帯メーデー
時刻 4月29日 10:00-16:00
場所 大通公園6丁目(14:00デモstart、18:00より別会場にてアフターパーティー予定)
主催 「自由と生存の連帯メーデーin札幌」実行委員会
連絡先 jinken.seikatu(at)hotmail.co.jp
080-1875-2668(新保)
ブログ http://unity-mayday.blogspot.com/
★京都 恩恵としての祝日よりも、権利としての有休を!
メーデーやります(雨天決行、応相談)
13:30から 三条大橋下、鴨川河川敷でお茶会(お茶を飲みながら話したり叫んだり)
16:00から デモ出発
主催:反戦と生活のための表現解放行動★ユニオンぼちぼち
連絡先:botiboti(at)rootless.org
ブログ:http://d.hatena.ne.jp/posada/
http://blog.kansai.com/unionbotiboti
5月1日(木)
★福岡 フリーター/貧民メーデー 五月病祭り2008—危うい鼓動—
☆不安定貧民雑音旅団/FREETER NOISE BRIGADE
☆グローバル資本企業ドラム攻撃ツアー(雑音デモ行進!)
時刻:5月1日(木) 17:00~
場所:警固公園出発(福岡市中央区天神2-2)
主催:フリーターユニオン福岡
連絡先:090-2088-5380(小野)
サイト:http://fufukuoka.web.fc2.com/mayday.html
★松本 立ち上がれない者たちのメーデー2008 〜来年こそ立ち上がるために!〜
日時:西暦2008年5月1日(木)18:00〜
場所:松本駅前公園(松本駅東口出てすぐ)待ち合わせ
内容:18:00 来年のメーデーのための会議と呼びかけ@路上
19:00 来年のメーデーに向けて移動開始
20:00 交流
主催:立ち上がれない者たち(080-5141-4694 八木)
サイト:http://nomasters.com/tatiagarenai/
★高円寺(東京) マヌケな奴らの高円寺メーデー 労働に興味がない奴らの祭典!
時間&場所:18:00 高円寺中央公園(南口・氷川神社近く)集合
19:00 デモ出発→高円寺一周デモ
内容:ダンスパフォーマンス:Baby-Q
DJ:イルコモンズ ほか
サイト:http://keita.trio4.nobody.jp/index.html
5月2日(金)
★広島 生存のためのメーデー2008 in 広島
時刻:5月2日 18時
場所:原爆ドーム前
連絡先:jundandy(at)ms12.megaegg.ne.jp 080-3050-6860
hiroseto(at)f2.dion.ne.jp 090-3171-4437
サイト:http://www.shakaishimin.org/union/
★岐阜 自由で気ままなメーデー
日時:5月2日 20時くらい
場所:赤星ふれ愛ハウス(岐阜県大垣市)
内容:適当に、しかし熱くトーク
5月3日(土/休)
★東京 自由と生存のメーデー2008 プレカリアートは増殖/連結する
時刻&場所 5月3日
1. 宣言集会 16:00-17:30 ○大久保地域センター
2. デモ 18:00-20:00 ○大久保→新宿
3. パーティ 21:00-29:00 ○CLUB ACID
主催 「自由と生存のメーデー08」実行委員会
呼びかけ/連絡先 フリーター全般労働組合
〒160-0023 東京都新宿区西新宿4-16-13 MKビル2階
電話&FAX 03-3373-0180
e-mail union(at)freeter-union.org
サイト http://freeter-union.org/mayday/
5月4日(日/休)
★仙台 仙台メーデー──生きる、働く、オルタナティブな生き方の可能性
13時開場 13時半開演
場所:地下鉄 広瀬通駅降りてすぐ 市民活動サポートセンター
ゲスト:「素人の乱」松本哉氏、「だめ連」ぺぺ長谷川氏
「素人の乱」映画上映 のち トークショー
連絡先:sansha(at)hotmail.co.jp(フリーター労組仙台準備会)
サイト:http://frefre.exblog.jp/
5月17-18日(土/日)
★大阪 第5回長居公園大輪まつり 「ちゃぶ台とか、どうよ?!」
5月17日(土) 12:00~18:00
18日(日) 10:00~16:00
場所:長居公園自由広場(テント村のあった向かいの広場)
アクセス:地下鉄御堂筋線長居駅3番出口すぐ
サイト:http://blog.kansai.com/unionbotiboti/59
連絡先:090-1953-0886(中桐)nagaipark_tentvilla(at)yahoo.co.jp
【P8(貧困者末端会議)は18日13:00からの予定です】
5月18日(日)
★茨城 戦時下のいまこそ、私たちにメーデーを!
時刻:14時~17時
会場:きらくやまふれあいの丘・世代ふれあいの館 会議室1
茨城県つくばみらい市神生530
交通:JR佐貫駅ないしTXみらい平駅よりタクシー
主催:戦時下の現在を考える講座(仮)
連絡先:090-1794-2437(加藤)
世界死刑廃止デーにデモをしよう ― 2008年04月29日 09:17
10月10日の「世界死刑廃止デー」に大阪でデモをやります。
まだ4月やからちょっと先の話のようやけど、いまから準備せんかったらとっても人が集まらんのやないかと思って。それで、そのお誘いの手紙です。10日は金曜やから、みんながこれる12日(日)にやりたいと思っています。この手紙を読んで「よし、いったろ」と思われた方は忘れんように、手帖に書き入れておいてください。
わたしはこれまで死刑廃止いうて、ほんまにようけ書いてきた気がする。書くだけやなしにけっこう動いた時期もあったんや。けど、いま古びた紙に刷られた自分の文を読み返してみても、同じ内容のくりかえしみたいなことやし、たとえば「死刑」を待ち望んでいるような世間に向けて、改めて「死刑廃止」を訴える説得力ある言葉はでてけえへん。そやから、これはすでに「死刑廃止」を腹に決めてるあなた! に向けての手紙です。(もちろん決めてなくても、「よし、いっぺん野次馬で見にいったろ」という方も大歓迎です。1対1ならわたしもなにかことばがでてくると思います。)
日頃は、犬山にすっこんで猫と昼ねしてるわたしが、このデモを思い立ったのは、鳩山法相の唖然とするようなことばと態度に、もうガマンならんと思ったからです。このままやと、死刑がバンバン執行されてしまう。死刑判決も、去年は10年前に比べるとなんと5倍!の47人にたいして「宣告」がなされているのです。
だれもが忘れてないと思うけど、鳩山法相は、就任以来、続けざまに2回の死刑執行を強行しながら、「……現在百人以上の死刑囚がいる。おそらく国民の多くはこの状況に納得されていない」「死刑は国民の9割近くの支持がある」「刑事訴訟法では、死刑が確定したら6ヶ月以内に法務大臣が死刑執行を命じなくてはならない」「私は刑事訴訟法に則って粛々と執行すべき」——とこれからも処刑の「ベルトコンベア」をフル回転させることを宣言しています。
「世論調査」なるもんをわたしは信用してへんけど、それにしても「死刑廃止」を近所の人に云ったとたん口きいてもらえんようになったりとか、テレビや週刊紙で安田弁護士らにたいするバッシングをみてたら、ほんまに、いまや「死刑廃止」は「非国民」と同義語みたいや。デモなんかしたら石でも飛んできそうな雰囲気やんか。それならよけいに世間にむかって「死刑廃止」をうってでよやないか、「非国民」おおいにけっこう——いうわけ。
このいまの社会状況——それはもうすでにじわじわと〈非常時〉や——をつくり出している「民意」なるものが、国家と1体になったマスコミに煽動されて「死刑・死刑」の大合唱や。その世間に囲まれて、わたしらは決して多数派やないけど、決してつぶされてしまわない少数派として、街にでて「死刑廃止」の旗を高くつきだそうやないの。
それで、どんなデモにするか、いうことなんやけど——
デモの人数はどうしても最低105人は要るんや。
『FLASH』の最近号に〈死刑囚105人——全罪状と「顔」〉という記事が載った。105いうのは、いま現在の死刑確定囚の人数。鳩山法相はこの105人を殺そうとしてるんや。すでに次の段取りを決めてるかもしれへん。鳩山にとってこの105という数は、単に、執行されてない数が、ふえすぎた数としての105かもしれんけど、〈死刑囚〉といえど、一人ひとり顔と実存をもって、いま生きている人間としての105人や。そやから、この105人を具体的な目にみえる形に表現して、「これだけの人たちを、あなた方は殺せというんですか!」「あなた方自身がロープをかけてでも殺したいですか!」いうて、1人が1人の死刑囚の名前・年令・顔をかいたプラカードを掲げて、キッと頭を上げて街を歩こうと思っているんです。だから、どうしても105人は最低来てほしいんや。105人以上の人たちが集まったら、もっといろんな表現をつけくわえられる。いま13人でスタートをきりました。
わたしは、この105人のうち、大道寺将司さん、益永利明さん、大森勝久さんとは直接会って話したり、手紙のやりとりもしたことある、もう30年来の友人といってもいい人たちです。それから直接会ったことはないけど、ずいぶん前から名前を知ってる人が幾人もいる。
最近では『こんな僕でも生きてていいの』(第1回死刑囚表現展受賞作)を読んだばかしやから、河村啓三さんはもう、ただの名前だけの人やない。河村さんはわたしが住んでた天王寺のすぐとなりの西成に生まれて、そこでどんな子ども時代をすごし、どんな環境のなかで育ち、どうして人を殺すようなことになってしまったのかを記憶をたどりながらじつに丹念に書いてる。人が人を殺すいうのは、裁判の紋切型の判決文からはとてもわからない、ほんまにいろんなことが重なりあって、自分でも思ってもみないような結果をつくりだしてしまう——河村さんはそのことに向き合い、その責任を自分で負うために、いま生きようとしている……。
それから、〈全罪状〉と書かれてるけど、私らが知ってるだけでも、尾田信夫さん大森勝久さん佐々木哲也さん袴田巌さん荒井政男さん金川一さん奥西勝さん村松誠一郎さんは無実の死刑囚や。そのほかにも部分的冤罪の人もいる。量刑不当の人もいる。制度いうのは、絶対に間違いを犯すねん。今迄にもどれだけ無実の死刑囚が殺されていったことやろう。
ほんまに、それでも「おまえは生きる資格がない」と決めつけて殺すんか!
河村さんはいまでも人を殺したときの感触を思い出してうなされてるみたいやけど、それにくらべて死刑判決を下した裁判官はどうや。自分では直接手を下さず、下級官吏にその任をおしつけてるから、「殺人」の感触もないし、誰に死刑判決を下したか、名前さえ覚えてないやろ。
遠くで匿名で「死刑・死刑」といってるひとらも、直接自分の手で殺すわけやない。その実際の処刑の現場では、一体どんなことがおこってるのか——。
『……元刑務官の坂本敏夫さんは97年に処刑された永山則夫君が「全身に無数の打撲痕跡と擦過傷などを負い、無残な姿で処刑された」ことを関係者から伝え聞いたと記しています。処刑の3日後に遺品が引き渡された際、やかんの茶でもひっくり返したかのように布団が濡れていたそうですが、坂本さんの記述と符号するのではありませんか。連行の際に揉み合った、と。』——将司くんが「キタコブシ」に書いていました。
いま死刑廃止は世界の流れいうことやけど、死刑制度を廃止しても、自国民他国民に死(刑)を強制する軍事国家同盟はなくなるどころかますます強固になり、日本政府もこれに追随している。戦争いうのは問答無用の死刑執行やんか! 敵国民を殺す戦争と非国民を殺す死刑。
わたしは、「戦争」と「死刑」は、統治されているものが統治するものといっしょになって「正義」をおこなう、全く同質・同根のものと思ってる。
しかし、これら圧倒的な国家の「暴力」のまえで、わたしらはいかにも丸裸やけど、しょうがない。いっそうスッポンポンになって身を晒すしかない。
わたしらは、いかなる「死刑」にも「反対」してデモをします。
10月12日(日)に、「その1人」として、あなたが来てくださるのを待っています。
2008年4月5日
文責・水田ふう
▼「その1人」あるいは「野次馬」で「デモにいってみよ」いう方は、連絡ください。今後のニュースや「死刑と人権」などお送りします。
▼毎月集まって、6月からはじめる「死刑と裁判員制度」の連続講座の企画相談や、こんなデモを創ろうとワイワイ雑談会をやっています。次回の集まりは5月27日(火曜)7時よりです。ぜひ気軽に足を運んでください。
連絡先
かたつむりの会 大阪中央郵便局私書箱1191号
振替・00900-3-315753