沿道のみなさんへ2008年10月10日 16:46

 「残虐非道」としか思えない、目をおおうようなひどい事件に接したとき――私たちはとっさにこう思います。
 「あんな奴は死刑や」
 「死刑でなかったら、被害者はどうなるんや?」と。

 でも、ほんの一しゅん、そこで足をとめて、考えてみてください。
 「死刑」といっても、やっぱり人を殺すことにちがいありません。
 法務大臣が処刑命令を出し、実際は拘置所の刑務官たちが苦悩とともにボタンを押すのです。
 それは、国家による人殺しであるがゆえに、誰も責任を問われません。
 しかしそれは、私たち一人ひとり、「国民」の名において行われる、人殺しなのです。
 あなたは、本当に、「犯人」を自分の手で殺したいですか? 殺せますか?

 私たちは誰からも殺されたくはありません。
 また、誰が好んで、人を殺したいと思うでしょうか。
 「殺されたくない」「殺したくない」――これはリクツではなく、私たちに生き物として備わっている本能的な感覚です。
 時に「犯人」に向けて集中する「殺せ、殺せ」の声も、じつはその感覚と無縁なものではありません。「殺されたくない」からこそ「殺せ」と思うのです。
 でもこの「殺せ、殺せ」の声は要注意。ちょっと待ってください。これは自分の中からほんとうにでてきた言葉なのか、マスコミや世間の声に惑わされて出てきた声ではないのか――戦争中みたいに「敵は殺せ殺せ」と同じような心裡状態になっているのではないか――
 いま、国民の八割が「死刑」に賛成といわれています。
 しかし、「殺せ」ではなく、誰でも持ってる、もう一方の感情「殺したくない」「殺すな」――を、私たちは強く主張したいのです。こんな殺伐として、ひどい世の中だからこそ、いっそう主張したいのです。

 ご存知のように、来年五月から、裁判員制度が始まります。
 裁判員法廷で、私たちは名実ともに、国家の人殺しに手をかすことを強いられます。
 私たちは誰でも「生きる権利」を持っています。
 それは同時に、「殺さない権利」があってはじめて成立つ「権利」です。
 私たちは、どのような殺人にも、加担したくありません。
 いま現在、この国の死刑囚は一〇三人。
 あなたは、本当に、殺したいですか?
 その手で、殺すことができますか?

★九月十一日保岡法務大臣によって三人が処刑され、死刑囚は一〇五人から一〇二人になりましたが、先月新たな死刑確定判決により、現在の死刑囚は一〇三人となっています。
★世界では――
 あらゆる犯罪の死刑廃止を実現してる国――90ヶ国
 通常犯罪における死刑廃止国――11ヶ国
 事実上死刑廃止をしている国――32ヶ国
 死刑存置している国――64ヶ国
 日本は国連から死刑廃止条約を批准するよう強く求められています。いまや、死刑のない国の方が多いのです。

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