帰る場所がない2007年06月16日 08:13

 “満期釈放者「帰る場所ない」4割超——30年前には9%”——という朝日新聞朝刊の切り抜きを送ってもらった。日付は先月の27日やから、もうみんなは知ってる記事やろな。

 30年まえ、山谷で知り合った鈴木国男さんが大阪拘置所で殺されて、わたしはそれから監獄いうものに目をむけるようになった。とりあえず自分にできることはなんやろと考えて、獄中に図書を差し入れる「たんぽぽ図書館」いうのを仲間をつのってはじめたんやけど、びっくりすることばかりやった。
 たとえば、政治犯は獄から出てきたら、行くところや、迎えてくれる仲間や友人が多少はいるけど、刑事事件で「犯人」として獄に入れられた人たちは、満期務めて出てきても行くところがないんや。死刑になっても、遺骨の引取り手もない……。住む場所もない、金もない、仕事も、相談する人もいてへん、いうことになったら、「再犯」しかないやんか。
 それでも、この新聞記事によると、30年まえのあの頃は「帰る場所ない」人は9パーセントやったんか。それが、いまは40パーセントを超えてるなんて……。

 去年の11月、突然見知らぬ青年から手紙がきた。今回5度目の刑務所生活。残刑1年10ヶ月……中学時代を少年院……そのあと2回の少年院、5回の刑務所。これまでずっとヤクザで……。
 彼はどういうことからか、アナキズムに関心をもちはじめ、模索舎で「黒」を手に入れ、わたしの名を知った——。
 去年5月の新受刑者処遇法の施行で、友人・知人にも手紙が出せるようになって、わたしを申請したという。「女掠屋リキさん伝」に登場してくる、最底辺のアナ仲間の人生を地でいってるような……そんなかれの気持ちにこたえるにはほど遠いけど、かれが希望するアナの本を少しづつ差し入れたり、短い手紙や葉書を書いたりするようになった。
 こないだ来た手紙には「いま、ふうさんが私にとってはすがれるひとで……」なんて弱気なことが書いてあるから、「アナいうのはな、独りで立ついうことなんやで」いうて返事したんやけど、来年かれが出所してきても、仕事に部屋に……そうした具体的なことで、わたしがめんどうみれることは殆どないやろ。
 4割超の「帰る場所ない」社会——をひどいもんや、というのはたやすい。でも、その万分の一でも自分が実際に引き受けることができるか、いうことになると、なんにも力になれへん。それがほんまのところなんやから、情けないはなしや。(風)