負けても亀へん?2007年06月07日 17:03

 吉田智弥さんの個人誌「蛇行社通信」が届くのをわたしは毎月楽しみにしてるんやけど、今月号の「負けても亀へん」いう記事を読んでうなってしもた。
 智弥さんは、いま奈良県立大学で教えてはって、「一方通行の授業ばかりだと、私も疲れる。学生たちも疲れる」いうことで、時々、グループ討論に切り替えるんやて。テーマは幾つかあるけど、今回は「兎と亀」。あの「兎と亀」の話を題材として、こんな討論をするんや。

 もし兎が走り抜いておれば、亀は完敗していた。
 その時、亀はどう言い返せばよかったか?

 100人ほどの学生を6班に分けて、討論をしてもらった。読解力も想像力も問題のうちやから、出題者は補足説明一切しないで、ただだまって徘徊するだけ。外見には、どのグループの討論もなかなか盛り上がってる様子やった。その後、各グループから数名が選ばれて、みんなの前で討論内容を紹介して、自分の意見を述べていく。そして——

 兎から「世界のうちでお前ほど歩みのノロイものはない」といわれたら?
 これまでやったら「泳ぎやったらオレの方が速いわい」とか「走るのが遅くて、何が悪いねん」という回答に笑い声と拍手がおきた、という。
 しかし今回、智弥さんはその報告を聞いて、肌が寒くなった。
 というのも、その回答が、「我慢をする」いうものやったからなんや。「ノロイのは事実であり、実際に兎と競争しても勝てないのだから、ここは我慢するしかない」。2人がそのように発言して、教室内からの支持もまんざら少なくはない。
 こんな「回答」が出たのははじめてのことやったそうや。

 最初から白旗を掲げて「我慢する」——世の中を思うままにしようとしてる者たちにとって、こんな都合のいい話はないやんか。「我慢」の思想が、ジワジワと沁み広がってきてるんやろか……
 同じ智弥さんの文章ではじめて知ったけど、いま、「ゼロ・トレランス(非寛容)」いう教育哲学いうのがあって、それが進行しつつあるんやと。一つの価値観を押し付けて、その敗者に対して「我慢」を強いる方法論やねんて。

 ドイツの反G8には、「我慢」しないものたちが世界中から集まってきてる(この「我慢」が好きな国からも)。今日もみるみる1万人もの規模にふくれあがって、鉄道を止めようとしたり、フェンスに近づこうとしてる。
 「我慢」にも限度がある。「我慢」が「我慢」である限り、それはいつかきっと爆発するんや!!! (風)

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